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秋葉原から上野アメ屋横丁へ

皆さんご存知の東京は秋葉原、昭和三十年代は電気製品が一般家庭に入りだした黄金時代の幕開けで、三種の神器と騒がれたテレビ(白黒)、冷蔵庫、洗濯機を競うように買い求め一般家庭にも普及し始めた。

秋葉原で新しい商品を眺めるそれだけでも満足出来ました。とにかく、目新しい物ばかりですべてに興味がありましたから縁日の露店を見物する感覚でぐるぐる回遊していました。毎月、必ず日曜日に見に行く、テレビ、ラジオ、冷蔵庫、扇風機、トースター、ミキサー、行く度に商品が増えていく、販売店の展示コーナーも様変わりしていくそんな中、気になる物がありました。

レコードプレーヤーです。でも、その当時の呼び名は「ステレオ電蓄」と言う呼び名で、薄いレコード盤から聞こえる音に魅了されて、もう欲しくて欲しくてたまりません。 今まで聞いたことのあるのは「SP盤」言われる音質も良くない、落とすと割れると言ったものしか聞いたことがありませんでしたから、薄いプラスチックのようなレコード盤が回りプレーヤーから再生され聞こえてくる音のよさとデザインに酔いしれていました。

用途は娯楽品でしかないですから、そう簡単には買ってはもらえませんから一度、家族みんなで見に行こうと説得し、雪の降る中見に行きました。父親もなぜか納得してくれ、帰りには寒さも忘れ兄弟でプレーヤーの入った箱を交代で手にぶら下げて重さなども忘れ早足で家まで帰っていきました。

ここで、家電製品の購入先について触れますと、普通では近所の一般小売店で買うのがほとんどでした。当時は販売価格も今ほど情報も無く高い安いの比較は出来ませんでしたから、贔屓の電気屋さんの販売価格を信用するしかありません。カタログなどもよほどでないともらえません。たとえば、新聞で紹介されたら新聞のそのままを伝えて注文するのが普通でした。

そんな時代に、秋葉原の大量仕入れ大量販売による価格破壊は家電販売店に少しずつ影響を与えだしました。東京オリンピックが開催されカラー放送が開始されると一般家庭でもカラーテレビを購入するところが出てきました。白黒テレビもかなりの普及をしていましたから、コマーシャルも盛んに流されています。

白黒テレビの数倍する販売価格のカラーテレビです。安さを強調する営業戦略を持ったコマーシャルは人々を秋葉原へと導いていました。
実際に、商品を見ることが出来てパンフレットももらえる、商品もすぐに手に入る、値引きもしてくれる、説明もしてくれるなどが広がり、魔力を持った家電の街に変貌していくのです。

もう一つ秋葉原に通った理由があります。それは、電気(電子)部品を買いにいくこともしばしばでゲルマニゥムラジオから始まり、電子工作が大好きで小学生の頃から色々なものを作っていました。
肝心な学業はそっちのけでなにやら工作の記事が出ていると、必要な部品を書き出し、工作手順、注意点、調整などと言った作成手順をつくり、完成までかかる費用を積算し小遣いの前借交渉を行い、成立すると今度は当然、秋葉原でも今までのような店とは違い、部品を売っているところに行くのです。

この部品を売っている所は、店舗の販売内容が一部変わったの別にすれば何十年とほとんど変化がありません。
何かここだけ時間が止まっているようにも感じてしまいます。真空管が全盛のときは、扱う部品も大きめのもが多かったのが、今の時代、抵抗、コンデンサと言った部品自体がチップ化されているから、実験で使用するようなバラの部品も小型のものになっているようです。

懐かしさと、ほっと安心したのは「ゲルマニゥムラジオ」のキットがいまだに売っていたこと。ラジオの原理を知る上ではとても勉強になる作成キットです。
秋葉原を見尽くすと、こんどは御徒町に向かって歩きます。たいした距離でもなく、路面電車もありましたが電車賃がもったいないから歩いて移動、目指すは松坂屋デパートです。

エレベーターもただで乗れる楽しい乗り物でした。最初に目指すのは玩具売り場、ここにはため息の出るような新しい商品が並べられていました。
電池で動く船外機の付いたクルーザーの模型、外国のものと想われるエンジン動力の模型の自動車、この自動車、当時ラジコンなど無いですから、車の横にワイヤーを掛けて片方の留め金を地面に杭を打ちつけてエンジンを掛けて走らすとぐるぐる回るだけのものでしたが、金属で出来た車体でずしりとした重さと精巧に作られた外観は堪らない刺激を与えてくれました。

次に目に入るのが、鉄道模型です。これも国産と外国産とがあり見ごたえがありました。自分自身では「オーゲージ」と言う全体に大き目のサイズの模型を幾つか持っていましたが、このサイズが小さくなればなるほど高くなるのがこの模型の特徴でそれでいてより本物に基づいて精巧に作られているからすばらしいのです。

ここも、ため息を付きながら後にして、今度は、屋上に上がり有料の望遠鏡であちらこちらと覗き見てからエレベータで一気に一階に下りて、アメ屋横丁、通称「アメ横」に向かいます。皆さんご存知の「アメ横」ここはもう別世界、夕方ともなると平日、日曜も関係なくいつも人込みがある街、食品、衣料品、見るものすべてが初めてのものばかり、ガム一つとってもものすごい数の種類があり、色、形と選ぶのに迷います。価格も安かったから小遣いでも十分に買うことが出来ましたし、チョコレートも種類と形状の違った物が沢山ありました。

その中でよく買ったのが「コインチョコ」いろんな外国のコインを模ったホイルでお金のように包装されたものです。口をもぐもぐさせながらアメ横の中ほどに位置する「中田商店」へ向かいます。中田商店とは、モデルガンの販売店で、この時代はテレビも映画も西部劇がは流行っていた時ですから、それにあわせた演出の販売を行っていて、店員さんも上から下までカウボーイの格好で、拳銃捌きを見せてくれました。

夕方になると、ちょっとした寸劇を見せてくれるのです。互いに向かい合い、決闘のシーンを演出し早打ちを披露してくれたり、拳銃の特徴等を説明してくれたりで楽しいひと時を過ごせましたが、ただ、実際に購入するお客さんは少なかったです。モデルガンの価格はかなり高額でしたから興味があっても買うことは出来ませんでした。他愛のない、懐かしき想い出の一コマでした。

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