昭和30年代 学校給食の思いでパート2!? コッペパンとキャラメル包装のマーガリンとキャベツと昆布の和え物!?

 昭和30年代、学校給食パート2としてまたも書き起こしてみました。学校給食のおかずはどれも美味しかった物ばかりでした。しかし、その思い出とは裏腹にバランスのとれていなかった「コッペパン」と「ミルク」は記憶の中では「まずいもの」としての記憶しか残っていません。そんな中に輝きのあった「キャラメル包装のマーガリン」と「キャベツと昆布の和え物」の組合せにより新たな味覚の発見をしたお話です。

昭和30年代 学校給食の思いでパート2!? コッペパンとキャラメル包装のマーガリンとキャベツと昆布の和え物!?

昭和30年代、学校給食の思いでパート2として思い出した気になるメニューのお話です。コッペパンは今の時代でも名前もそのままに残っており、また、とてつもなく進化し名前と形状もそのままですがパン自体の質は当時のコッペパンとは比較のしようもありません。コッペパン専門店も多くあり様式も多種多様で、半分に切り込みを入れ中に具材を挟み込む形で無限の風味を提供してくれています。

学校給食 >話はこのように進化をたどる前の「コッペパンの原型」の時代の話になります。今も私自身の頭に残っている当時の「コッペパン」の味は「まずい」の一言に尽きます。私自身、子供の時から「パン」が大好きな子供でした。子供ながらに学校で出してくれていたせっかくのパンでしたが何故まずいと言っていたか?

 それは住まいの近所の商店街に「コアミパン」と言うメーカーの小売店があり、このお店でたまに買う「コッペパン」の味の違いにあまりにも隔たりがある事を子供ながら分かっていたからでした。このお店でたまに買ってくるコッペパンや食パン或いは、惣菜パンです。惣菜パンと行っても当時の形態は「パーカー」と呼ばれているグローブをたたんだような格好の形態のパンでその中にコロッケやマカロニサラダ、ポテトサラダなどが挟んであlり種類も限られていました。

※懐かしの「コアミパン」は、今は消滅してしまっているようですので名前をそのままに表記しました。小売店の店舗は小さく販売していた商品も食パン、コッペパン、コロッケパン、マカロニサラダが入ったパン、ハムカツパンで種類も少なかったのですが、商品はしっとりとした質感でほのかな甘みが特徴でとても美味しかったパン屋さんでした。

 定番のコッペパンは半分に切り込みを入れ、当時「バター」と呼んでいたがマーガリン、イチゴジャムやピーナツバター、餡子をのいずれか、或いは混合の組合せで塗ってもらう様式で今もあるそのままでした。ゆえにこのこともあり、生意気な子供ですがどうしても学校給食のコッペパンにはなじむことが出来ませんでした。

 それとまだ学校へ上がる前から本物のバターの味を覚えていたり、たまに見たことも食べたこともないデニッシュパン(私はケーキと言っていた)や食べたこともないチーズ、コンビーフの缶詰、色々なお菓子が我が家に届くのです。それは何故か? 他の話として「終戦記念日、父と進駐軍の思いで」の話で書きましたが、当時、父は仕事(洗濯屋)で進駐軍との関わりがあり贔屓(ひいき)の将校さん達がたまに家にお土産として届けてくれるのです。

 その中の1人が我が家で叔母さんとの出会いがありイギリスの将校さんと結婚して渡英してしまいまいした。そんな環境で育ち子供ながらにバターとマーガリンの違いも覚えてしまっていたのでした。学校の給食で提供されるコッペパンですがたまに「バター」と呼んでいたキャラメル包装の実はマーガリンでしたが塩けがあり当時のコッペパンでも付けて食べると別格の味に変化し全部食べることが出来ました。

※当時頂いた「バター」はパンに塗らず、ご飯にのせて醤油を少し垂らして食べるのが我が家の定番の食べ方でした。

 ここで「全部」と書いたのは、パン好きの私でも普段は食べきれず半分以上残し包み紙などないのでノートを一枚破り、これに包んでカバンの中にしまい込むのが普通でした。当時低学年の教室では、先生も教室で皆と一緒に食べていて食べ残しがないか最後に検査があるのでランドセルに分からないようにしまい込むのでした。

 あのキャラメル包装のマーガリンはホントにたまにしか付いてこないので楽しみでした。普段の給食の献立で、パンに付けて食べられる献立はいいのですが、献立を考える人達は色々考えてくれているのでしょうがそんなにうまくはいきません。しかし、異質な組合せでたまに提供される副食の「キャベツと昆布の和え物」で教室の誰かが、これをコッペパンに挟んで食べることを思いついたのです。

 この「キャベツと昆布の和え物」ですが味付けは塩味で鰹節が少し混じっていてそのままでも、野菜嫌いの子供でも食べられる結構美味しいとても素朴な献立でした。この塩けが普段まずいと言っている「コッペパン」を一変させるのです。塩けもさることながら、パサパサの質感に水気が加わり出来たてのような味わいで、いつのまにかこの献立が出るのを楽しみになるようにもなりました。

 この当時の献立だった「キャベツと昆布の和え物」の進化と言いますか、今の時代になっても色々な調整がされて残っています。ここで書いたように、そのままコッペパンのメニューになっている物も実在しています。そのほか献立の冊子などにも改良版として沢山紹介されています。実際に私自身も簡単に作れますので箸休めに作ります。

 また、市販されているコッペパンの製品も購入し今でも食べていますが食べるたびに、ここで書いているような事を思い出すのです。当時のコッペパンの話で貴重な存在だった、年に数回しか提供されなかった献立に「揚げパン」がありました。当時の色々な事情で本当にたまにしか出てこない貴重なコッペパンの変化の献立でした。

 このときは教室のみんな、本当に給食の時間が待ち遠しいそのままでした。揚げパンの香ばしい香りが漂って来るので私などそのことで頭はいっぱいでした。揚げパンばかり気になり主菜の献立をあまり覚えていないのですが、油を使っているので「鯨の竜田揚」げか「アジのフライ」だったのでは思います。

※当時、フライや何かの揚げ物が提供されるときがありますが、今のようにソースやケチャップ、マヨネーズなどの調味料は当然ありませんので素材自体に濃い味付けがされていました。当然ですが、水やお茶などもありません。水が欲しいときは自分で水飲み場まで行かなければなりませんでした。

 油で揚げることは素材を一変させる事が出来るのでこの調理は本当に魔法ですね。これは実際に職業として若い頃10年以上調理人をしていた実際の体験でもあります。パンとの相性抜群だったマカロニの入ったカレースープ(シチュー?)は大人気でした。味付けはいたってシンプル、カレーにほんの少しととろみを付ける小麦粉(ルーではなかった)がベースで野菜と確か鯨肉がほんの少し入っていた。

 コクがあり子供に馴染みの味付けで本当に美味しかった。これも「コッペパン」との相性は抜群で、すぐに食べ終わってしまうのでなにか物足りなかった。金色のアルマイトで出来た食器に入れてもらいパンをちぎり、味わいながらゆっくりと食べたのでした。これも本当に美味しかったです。

 表現が悪いですが、まずかったコッペパンだからこそ「カレースープ」の味を際立たさせる風味が逢い合わさって生まれる味覚だったのかも知れません。

 言葉の表現が悪くてすみません。学校給食、まずかった物の筆頭に値する脱脂粉乳で調製され毎回必ず提供されていた「ミルク」前回書いた給食の話の中でも書きましたが、これもどうしようもなく苦手でした。低学年のうちは先生も一緒に教室で食べているので処分も出来ず飲んでいましたが、学年が上がり3年生くらいからは先生がいなくなったので、ほぼ飲まずに洗面所でこっそりと処分していた悪い子供でした。

 つい先日、テレビで国民的乳酸菌飲料の皆さんご存知の「ヤ○ルト」の製法をが紹介されているのをたまたま見たのです。説明の中に「主原材料」に何と「脱脂粉乳」が使われていると出ていて驚きと共に研究開発ってすごいなと改めて感心したことでした。話は飛びますが「脱脂粉乳」をお湯で溶かし高温殺菌するとクリーム色に変化し、あの製品の色になるのです。

 詳細はネットで見て見てください。いわば化学変化ですね。色が変わると言えば製パンにもある同様の効果で、パンが焼けると茶色くなる事を「メイラード反応」と言います。また、プリンの茶色い部分はカラメルソースで茶色くなっています。この「カラメルソース※砂糖を煮詰める」を作る際、だんだん茶色くなっていくことを「カラメル化」と言います。それと同じ事のようです。

 学校給食の不評だった「ミルク」も、当時を振り返り、一手間掛けてくれたら大好物になっていたのになと爺さんの私は改めて考えるのでした。

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