ひとりごと 誰も信じないと思います。23歳で公的に誕生日が変わってしまった!? とっておきの本当のお話です。

 アルバイト命でそのままに高校を卒業し大学も行かず就職を選んだ私、父親の若い頃の職業「男浪漫の船乗り」目指し、通信士の資格を取り船会社を探せど就職先は見当たらず、結局は当時としては最先端の電子計算機に繋がる通信機器やデータ通信機器の保守を事業としている会社へ就職することになりました。

 元々電子工作が好きだったので、すぐにシステム類の動作経路やデータの処理等々は誰よりも早くに理解し独り立ちし、当時としてはこの会社にしかなかった特殊な漢字データを処理できるデータ処理機器までも覚えてしまった、血気盛んで硬派で生意気な青年でした。

 しかしながら若くしてチームリーダーまでのし上がりながらも3年で離職してしまいました。理由は、このままで良いのだろうかです。思い切りというか、怖い物知らずのまま、急に自分の道を行くと決めて「独立」を宣言したのでした。会社を辞めて全く違う職業「飲食業」へ進み、修行というか当時はとにかく覚えるのは何でも早かった私ですので、色々な料理の調理法からレシピはすぐに覚えました。

 本当に数ヶ月でマスターし、その数ヶ月後には自分の店「ピザハウス※10年間営業」を開いていました。個人的な財力は無いので、ここは親から支援をしてもらってのことでしたが、修行させてもらった店の人達や友達も応援に来てくれたりで賑やかなスタートでした。そして、そのままに翌年には当時銀行員だった彼女と「結婚」となりました。

 相変わらず前置きが長いのですが、そうですここで事件は起きたのです。婚姻届を出すため「区役所」へ全部記載したものを持って提出を行いました。提出したので帰ろうとしたその時です。
 私の名前を呼んでいるような? そうです担当の方が私の名前を呼んでいて、盛んに書類を持って指さしているのでした。そして呼ばれるままに近づくと、クスッと笑っているような態度で開口一番「記載事項に不一致があります」とのこと。

 家で嫁さんと確認しながら書いたので間違いはないはず。そして一言「あなたの誕生日が違っていると・・・???」、始めはこの人は何を言っているのだろうと、逆に疑問を抱きました。しばし、言い争いに発展しこのままでは受理できないと突き返されました。私も若いですから、だんだんと大きな声になっていきそこのフロアーにいた人達の視線を集めるでした。

 中には、笑っている人もいました。あたり前ですね。自分の誕生日を間違えているような、直せ、直さないの馬鹿げた話ですから当たり前です。納得のかない私は、この事実を変えなから受理しろの一点張りの主張を繰り返していました。担当の窓口では、このままでは受理できないの押し問答です。

 相当の時間をこの馬鹿げたやりとりに使いました。熱くなって声は枯れてくるはで、自分でも冷静さを失っているのは分かっているのですが収まりが付きません。少し間を置き、逆に今まで発給されて添付されて申請に使われた「戸籍謄本」を必要とした公的な証明書はすべて、今、申請をしたとおり事実だと落ち着いてから話ました。

 そうです。例えば小学校から高校まで、それに色々な公的な資格を持っていたのでその話を出したらそれは証明にはならないの一点張りで聞こうとしないで対応せす。あきれかえってこれ以上は机上の空論でしかないなとその場は諦め納得のいかないまま退散しました。

 自宅に戻り、再出撃で証明書、免許証、それと親にその話をすると間違いは無いとのことで当たり前です。色々、あるもの全部を揃えて再度、区役所へ出撃?しようと用意していたら父親が古い家族全員の「戸籍謄本」を持ってきてくれたのでした。

 そこには紛れもなく今までの「誕生日」が記載されていました。あたり前です。23年間そのままで公的なものへは添付として「戸籍謄本」か「戸籍抄本」を必ず付けていましたからあたり前です。沢山の資料を持って先の担当課へ出向き決戦です。

 持参した証明書をカウンターへ並べ「どうだ・・・」と言わんばかりの態度で挑みました。担当課の人達が一つ一つ確認をしていたとき、そうです「古い戸籍謄本」を発見した担当者がそれを持ってどこかへ消え去りました。「決定的証拠」の「隠滅?」が頭に浮かびました。そしてしばらくすると偉そうな人を連れて戻ってきました。

 それも笑顔で頭を下げながら、もう一人一番最初にやり合った担当者、「起きてはならない事実で本当に申し訳ありません」と、二人で頭を下げるのです。顛末は、何でも区役所の建て直しと同時にすべての登録記録をシステム化に伴い「データ化」したことによる間違いが発生してしまった事故によるものだったと認めました。

 尚且つおかしな解答が・・・、私の誕生日を基へ戻してほしいと伝えたところ帰ってきた解答が「それが出来ないのです」と、なんで? おかしな話でしょ。と、食い下がったのですがダメでした。何でも、修正には色々法律的な手順があり出来ないとの解答で終始していたのです。

 区役所側からの代案として、今後、この変わってしまった「誕生日」を正規なものとして使ってほしいとのことになりました。そして、今後、もし、過去の登録との不都合が生じた場合、区役所が証明をすることで私は新しい誕生日を受け入れたのでした。故に、それ以来新しい誕生日で今まで使っております。

 この変わってしまった「誕生日」の問題は、忘れた頃にやってきました。60歳になるころ、いよいよ「年金」の手続きの時が来たのだなと思っていて、送られてきている書類を見ていたときに若い頃勤め人をしていた会社の記録が抜けていることに気がつきました。

 手続きのため年金事務所へ出向きました。そして、抜けているところがあると伝え調べてもらいました。しかし、担当の方がデータベースを探せど出てきません。誕生日が変更になった話をしたら、担当者の人も驚いていました。それでは、その過去の誕生日で検索をして見ましょうとやっても出てきません。

 「消えた年金問題」の最中の出来事でした。そうなのです。ここでも遭遇したのでした。この時は、どうにもならずでした。単刀直入に「もしあったら金額的に大凡どの位になりますか?」と調べてもらいました。何とも現金な問いですが、少額なら諦めるも方法だと考えました。しかしです。驚きの金額に、これはこのままに出来ないと考えました。

 当時、特殊な技術の職業でしたので自分で言うのも何ですが、結構な給料をいただいていました。これは、そのままに出来ないと、どうしたものかと考えたのが今も健在の大きな会社でしたので、ダメ元で当時の状況や管理職の名前、所属していた課等々を書いて当時の「厚生年金」の登録記録のコピーをいただきたい旨を手紙に書いて送りました。

 40年も経っているので無理だろうなと考えていたら、すぐに返信で当時の記録のコピーを送ってくれました。さすがだなと本当に感心しました。送っていただいた当時の「厚生年金」の記録を持って再度年金事務所に出向き、その書類に書かれていた記号番号をもとにデータベースを調べてもらいました。

 すると出てきました。ここでは,他人の名前で・・・、登録の名前自体(カタカナ)が間違って登録されていたのです。だから生年月日を変えて検索しても出ないわけです。担当した人も、初めての例だと言っていました。当時は、私自体も社会保険事務所も仕事で行っていました。何の因果か、本当に人生色々でした。

 このほかにも沢山の遭遇がありました。痴漢を捕まえたり、線路に人が・・・自殺未遂、交通事故に遭遇し応急処置は一番多い遭遇、消防庁救急救命の講習会では模範処置で注目を集めたり、訳ありの人達の更生相談等々、少しは世の中のお役に立てたのではと過去を振り返ります。

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