昭和30年代 「荒川遊園地」は子供の小遣いで遊べる最高の場所だった!!

 

昭和30年代、子供に取って身の回りがすべて遊びの対象であり遊び場だった。遊ぶ道具など無くても「何々遊び」等が沢山あり、子供達の先輩から継承され自然と子供なりに「決め事」や「危険回避」、「序列」等々自然と身につけて行きました。それは子供同士の集団行動に自然な流れで適用され子供の組織となっていました。

 

 今の時代におきる「いじめ」特に陰湿な等は、ほとんどなかった記憶があります。但し、いじめに近い形かも知れませんが「意地悪」はありました。しかしです。この意地悪にも子供なりの「ルール」と「度合い」があり、ある程度のところ解消される。その後は、また普通に仲良しな状況へ戻っていた物でした。この「意地悪」はある意味で私の偏見かも知れませんが「集団行動」における「しつけ」の様な要素ではなかったのかなと思います。

 

 話の前置きが長くなってしまいましたが、子供同士の集団行動は日常的な物で、何をするにもとにかく色々集団で行動することが当たり前でした。墓の話でも子供が集団で遊ぶことを書いておりますが、今回は子供の「冒険」として子供だけで遠方にある「荒川遊園地」へ出かける事の話になります。

 

 当時、私の住んでいた荒川区日暮里町から荒川遊園地までは子供の足で1時間近くかかる場所にありました。親に連れて行ってもらうときは「京成線 新三河島駅」から「町屋」まで行き、都電の「荒川線」で荒川遊園地前」で降りていくのが普通でした。まだ、小学校へも行っていない年齢の子供には距離感も地理的な状況も分からずとても遠い場所にあるものと思っていました。

 

 そんな遠くの「荒川遊園地」でしたが、子供仲間の先輩達は歩いてい事が出来るわかりやすい遠征路を見つけてくるのです。当時、小学生以下では子供用の自転車など全員が持っている訳ではありませんので、先輩達は入学前の子供達だけで歩きで行っても迷わないわかりやすい道順を探してくれて、実際に子供だけで10人くらいの集団で予行演習も含め「荒川遊園地」に出かけました。

 

 本当にわかりやすく沢山の目印となる建物、あまり曲がらないで直線の道を最優先に途中でもワイワイ騒ぎながらちょっとした遠足でもありました。この行く途中でも時間を忘れるくらい楽しかった。そして3回ぐらい通うと道を覚えられて、先輩がいなくても行けるようになっていったのでした。何より肝心な「荒川遊園地」は当時では、子供にしたら遊戯施設はそれほどの物はなかったのですが天国でした。

 

 遊園地へ遠征する夢の遊戯施設、夏は「プール」、夏以外は「ローラースケート場」で他に電車などの乗物、ジェットコースターもどき?、小さな観覧車、他、後は釣り堀もありました。確か当時の入園料が「10円」位で、後は施設ごとに「プール」が1時間単位で「20円」、ローラースケート「20円※靴代込」だったと思います。それと、釣り堀等もありましたが、子供達では誰もやったことがなく記憶にないのですが同様の金額だったと思います。

 

※夏はプールですが子供用のプールはシーズンが終わった時期は、水を抜きここがローラースケート場になるのですから無駄がありません。ローラースケート靴も本当に簡素な物でしたが、靴が付いたローラースケート靴は子供なりにも憧れでした。ちなみに付いている靴は「布製」で革靴ではありませんでした。

 

 とにかく子供の小遣いで遊べた「荒川遊園地」は最高の場所でした。大概は延長して1時間超過で2時間くらいは遊んでいました。もう一つの楽しみが、遊び疲れてくたくたになった帰りに待ちに立ち寄るところがありました。お腹も空くのでないか食べたい、そんな欲求を満たしてくれる子供でも入れる「食堂」です。これも先輩達が見つけてくれた場所で子供の小遣いで「うどん」が30円で食べられる。

 

 これは別の大きな楽しみの一つでした。なんでこんなに安いのかの事情は、少し大人になり分かりました。色々な「おしながき」があったのは覚えていますが、「うどん」しか食べなかったので他は分かりません。後に判った事ですが、この食堂は「民生食堂」と呼ばれる東京都の指定を受けた安く食べられる食堂だったのです。

 

※民生食堂:外食券食堂が1942年の米穀配給通帳制度に伴い制度化された日本の食堂で食糧事情が逼迫した戦後も続けられ、1951年に民生食堂に発展的解消を遂げた。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 ここで「うどん」を食べて、お腹いっぱいになっての帰り道はいい運動にもなっていました。帰り道も、相変わらずワイワイと賑やかに家路につくのですが、道も覚えているので今度は子供なりの冒険心で、新たな道の開拓となるのですが当時は平屋の密集地帯でしたので細い道に入ってしまったらもう方向感覚が分からなくなり、あちらこちらとうろうろするばかりで焦るのです。

 

 迷いながらも目印になる見覚えがある所に出たときは子供なりに安心感と達成感を味わい、子供同士で一致団結したような思い出が残っています。爺さんにななった今、当時の場所を振り返ると、やはり結構な距離がある事を実感します。遊びたい一心で本当によく歩いて行ったな思い返すのです。

 

 今も現存している「荒川遊園地」は綺麗になって、昔の面影は隅田川沿いにある立地以外は残っていませんが近代的で、今風の遊園地になっていることをホームページをみて知りました。

 

番外編

 

 民生食堂、今も現存している「下総屋食堂」が墨田区横網にあります。ここは仕事仲間と何度か実際に立ち寄り、食事をしたことがあります。パイプ椅子とパイプのテーブル、惣菜が保管されている蠅帳(網の張ってある食器棚)があり自分の好きな物をそこから取り出し、後で会計をする形です。オーバーな表現ではなく入ると本当に「昭和」へタイムスリップしたような感じになり、何か懐かしさに浸れる場所です。このような食堂が、昭和の時代には都内に沢山ありました。

 

追記

 

1922年(大正11年)開園の老舗遊園地であり、東京23区内唯一の公営遊園地である。面積約3万平米 (m2)。荒川区北部の隅田川沿いに所在する。

過去数度の改装を経て現在の構成は1991年(平成3年)以降のもの。低年齢層の子供が楽しく遊べるよう特化しており、アトラクションは定番ものが一通り揃っているが、小学校低学年層に合わせたレベルで激しい動作のアトラクションはない。

 

100円 – 200円程度という入園料やアトラクション利用料の安さが特徴で、財布を気にせず気軽に利用できる遊園地である。アトラクション以上に小動物園やピクニック用の広場、遊具施設、水遊び場などが充実しており、園内の装飾やレイアウトも清楚で、全体的に大型の公園に近い趣きがあり、落ち着いた雰囲気を持つ。

 

2022年のリニューアルオープン後はリニューアル前よりも遊具の大型化やバリアフリーに対応し、観覧車のライトアップとイルミネーションや夜間開園も予定されている。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』