昭和30年代 近所の乾物屋さんで売っている商品は、乾物の名前とは違い刺身や惣菜から色々な食材まで販売していた。

 今の時代へのスーパーマーケット、コンビニエンスストアの基礎となる昭和30年代の「乾物屋」さんのお話になります。私が生まれ住んでいた日暮里町で住まいのすぐ近所にあった商店街の一角に商店街の中ではわりかし大きなお店の「乾物屋」さんがありました。母親と一緒に買い物に行くときは、いつも一緒にくっついていた甘えん坊の私でした。

 このお店は子供ながら特に興味をそそられる大好きな「乾物屋」さんです。昭和30年代にあった商店街の成り立ちを少し紹介すると、ほとんどが今で言うと「専門店」が主流でした。魚屋さん、肉屋さん、八百屋さん、和菓子屋さん、タバコ屋さん、雑貨屋さん、洋菓子屋さん、洗濯屋さん、パン屋さんとほとんどが個別の形で商売を行っていました。23

 この中でパン屋さんは、今のような「オーブン フレッシュ ベーカリー」等の焼きたてパンではなくメーカーの小売店のような様式でパン類の販売をしていました。焼きたてパンを売っている店もあったのですが、結構遠くの商店街まで足を運ばないと買うことが出来ませんでした。各々のお店は専門店ですのでその看板に沿った商品しか基本的に購入は出来ませんでした。

 しかし、ここで取り上げた「乾物屋」さんは名前には似つかない「商品構成」で独特の販売様式で商売をされていました。子供ながらにお店に行くとワクワクしました。とにかく色々な食品が沢山陳列されていますので、子供ながらにあちらこちら目をキョロキョロさせて観察するのが大好きな私でした。

 「乾物」とはうらはらに、刺身から鮮魚、肉類、惣菜、他、今で言うところのスーパーマーケットのような様式を、この当時から取り入れていて繁盛していました。安いか、高いのかの判断は子供だった私には分かりませんでしたが、家から近いこともあり母親は頻繁にこの店を利用していました。

 今でもはっきりと覚えている我が家の定番食品に「鯨の南蛮漬け」と「鮫の切り身」がありました。値段が安いのと、美味しいので我が家の食卓にはよく出ていた食品です。当時、家業の「洗濯屋」で我が家には住み込みの職人さんもいたので食事には母親は苦労していたようです。そんなに大きな店でもないのに多いときは住み込みの職人さんが2人もいました。

 どちらかというと当時の洗濯屋は肉体労働です。父親は早くから大型の機械類を導入していましたが、こだわりが強い父親の仕事では手仕上が多く大変でした。そんな状況ですから、母親は食事にはかなり気を遣っていました。働いている人と、子供達の献立が違うなどは頻繁に起きることは当たり前でした。

 故にこの乾物屋さんは我が家の台所のような存在でもありました。子供の私も買う物もないのに、一人で店の中を見物しにいくなども頻繁に行っていました。すると、お店の経営者のおじさんに声を掛けられるのですが、決して邪険な事はしません。失礼ないいかになるかも知れませんが、見た目はとても怖い顔をしています。

 しかし、陽気でお節介なホント下町のおっさんです。よく、我が家にも立ち寄り世間話をしていました。子供ながらに、いつも見学しているから商品の変化にも気がつくようになっていました。そんな中で興味をそそられ、見た目でも子供ながらに「美味しそう」に見えた新しい商品が冷蔵ショウケースの中にあったのです。

 それはピンク色と半透明の混ざり合った細長くカットされ、目を引く存在でバットの中に山盛りになっていました。どうしても子供ながら食べて見たくてしょうがない。すぐに家に戻り、母親にそのことを伝えると仕事中だったにもかかわらず一緒について来てくれました。
そして、その場所へ手を引いて行って買って欲しいと伝えると、母親も見た目では分からず店の人に声を掛けました。

 すると、おじさんが出てきてくれて母親が買うので少し計って欲しいと伝えました。おじさんは、笑いながら冷蔵ショウケースの蓋を開けて、少し箸でつまんで子供の私の手に乗せてくれました。そして食べてみろと? そうです。試食です。子供ながらの初めて試食、ドキドキしながら口に入れると、見た目とは裏腹に「塩っ辛い」だけの味にびっくり。

 何と鯨の脂身の「ベーコン」でした。今では超高級品になっていますが、当時「鯨肉」は一般的な食品でした。母親とおじさんは、ゲラゲラ笑い、子供の私はもういらないとなり子供の好奇心は実体験を味わい終了したのでした。

 この当時の乾物屋さんや色々なお店では個包装などは珍しくほとんどは「量り売り」が基本でした。包装資材も「経木」や「新聞紙」が使われていました。

※経木:経木(きょうぎ)とは、薄い木の板である。材質は主にスギ、ヒノキが用いられる。通常は柾目で削られている。経木はその厚さによって、「厚づき(0.5 mm〜1.0 mm)」、「薄づき(0.1 mm〜0.3 mm)」、「会敷(0.1 mm〜0.05 mm)」に分類できる[1]。包装材としては「へぎ」と読む場合がある。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 ここで紹介した「乾物屋」さんは、その後も駄繁盛していきました。その後経営者の「おじさん」が亡くなり息子さんの代に変わり、店舗もビルに建て替え本格的なスーパーマケットとなり、駅前には支店も出す勢いで順調のように思われました。

 しかし、どういう理由かは分かりませんが、朝ドラマの「お○ん」のストーリーにオーバーラップするような形で、ドラマの流れでは魚の行商から身を立て、やがて店を構えスーパーマーケットまで拡張し後半に出てくる経営破綻同様そのままにすべてを失ってしまいました。

 やはり朝ドラ「ま○ぷく」にかかわる話ですがインスタントラーメンが発売されたときにも、この乾物屋さんは何処よりも早く店舗の棚に陳列し、私の家にも試食用にと沢山のインスタント袋麺と共に何故か粉末スープだけを届けてくれました。メーカーは分かりませんでしたが、お湯をそそいでラーメンが食べられるなんてびっくりの何者でもありません。

 珍しさもあるのですが、とにかく家族、職人さん達で早速たべました。皆の感想は「美味しかった」の一言でしたが、子供ながらに記憶しているのは、もらった試食分は食べ終わりその後は食卓には出てこなかった事でした。その理由は多分、値段が高かった事だと思います。

 この時代、ネットで調べたらインスタントラーメンが35円位でした。しかし近所のラーメン屋さんでは50円でラーメンは食べられたので便利けどチャーシューやナルトにほうれん草までも入っている本物と比較すると、割高感が強かったと母親感じていたのかも知れません。

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