昭和40年代 「味巡り※食べ歩き?」 官庁の食堂、某放送局、街中の食堂、食後に立ち寄る異国情緒の喫茶店、他

 会社は銀座、毎日有楽町で降り改札口の前にあるコーヒーショップに立ち寄りコーヒーとレンジで温めたハンバーガー?を食べ、おもむろに会社へ向かうのが日常でした。9時から始業、緊急案件がないかをチェックし、無ければ自分の予定を受け持ちの顧客先の巡回予定を作ります。

 たまに所属する自分の課の会議がありますが、めったにないのでわりかし朝は余裕があります。そして、巡回(定期メンテンナンス)先の機器類のリストを照合し、過去に異状が無かったかカルテをチェック、万が一の時を想定し予備部品を資材課から借り受けアタッシュケースに入れて出向くのが定例です。

 こんな日常で、ぞろぞろと同じ方向へ向かう者が集まり向かうのは「喫茶店?」、そうなのです。何故か、これは入社したときからの習わしで、私が退職するまでずっと続いていました。入社したての頃は「不謹慎と思われる行為」と考えていて気が引けていました。しかし、それは、少し慣れてから解ったのです。早く言っても、お客様の状況で午前中は、どこもデータ処理が集中しているためメンテナンスは出来ないのです。

 そんなこんなの事情が分かると、時間の使い方や配分もわかり余裕が出てきます。実際、メンテナンスシートの時間を合計しても1日多い日で4時間、少ないと2時間です。帰社は午後4時から4時半までには戻っているので、これが実勤務(作業)時間でした。
 こんな毎日ですから、朝に立ち寄る喫茶店もあちらこちらと出向くようになり「モーニングサービス」の状況の情報交換も大きな話題になっていました。当時のモーニングサービスと言えば「トースト」と「ゆで玉子」がコーヒーに付いてくるのがほとんどで、まれに小さなサラダが付いていたら大きな話題になるくらいの状況でした。

 コーヒーとモーニングのセットで「180円」、コーヒー単体だと「130円」が大体の銀座周辺の相場でした。しかし、これが地域が変わり赤坂、虎ノ門、青山近辺ではモーニングセットが「350円から450円」となります。なぜか銀座でも1丁目から4丁目の昭和通り側と京橋方向では会社も多くあり安かったのでした。

 同じ有名地域でも、値段の高い所は高いだけの内容も伴っていたのは当たりまえですね。パンはトーストではなく「サンドイッチ」がついて来ました。それも「タマゴサンド」か「野菜サンド」又は「ミックスサンド」が選べる。ただ、行きたくても自分で決める「巡回コース」によるのでいつもというわけも行かなかったのでした。

 私の所属していた課の担当地域は官庁街を中心に関東エリアの4分の1を受け持っていて、私は官庁街と特殊な機器類を担当していたので個人的には結構広く大島(測候所・飛行場)、公安関連の無線傍受所(山の中の秘密基地)も受け持っていました。

 特に霞ヶ関の官庁街付近は日常的にいたので、昼食でよくお世話になっていたのが合同庁舎(当時の通産省、食糧庁、林野庁、他)のビルの地下にあった食堂でした。ここは誰でも利用できるので、昼時は大混雑です。私は、普段では適度な時間に自由がありますので混雑時はさけてずらして利用させていただいていました。

 お昼の「日替わり定食」は何と「90円」と「120円」でした。覚えているメニューの金額を書くと「ラーメン40円」、「かけそば40円」、「おでん定食70円」等々、信じられない金額です。当時、お昼時の一般的な定食の価格が「450円位」ですのでこちらの食堂目指して遠くから会社員が多く訪れていました。

 肝心の味はと言うと普通の味でした。しかし、官庁街は広いです。私は通行証を持っているので「外務省」以外は、何処でも入ることが出来るため色々と食べ歩きました。その中でもメニューも価格も違っていたのが「大蔵省」でした。

 こちらは普通のお店で出しているような献立で、本当に美味しかったです。価格も確か一般が入れる庁舎の食堂よりも高かった。「天ぷら重※天丼ではない」が当時好きだったのでこれをよく食べました。それでも「360円位」だったと記憶しています。

 この「天ぷら重」はちょっと離れているけど、某国営放送(内幸町)にあり、こちらも通行証を持っているので社員食堂へ入ることが出来ました。こちらでも食べるのは「天ぷら重」で「175円」でした。この食堂は社員だけでなく出演者(タレント)も一緒なので、たまにテレビで見かける人がいました。

 霞ヶ関界わいで少し遅いお昼ご飯を食べた後に立ち寄るのが、田村町(新橋と虎の門の中間)にあった従業員がすべて「外国人」の清楚で美人ばかりで営業していた「喫茶店※夜は会員制クラブ」に行きます。ここは、喫茶店ですが非常に価格が高い、コーヒーの相場が「150円」の時代に「350円」でサービス料みたいなのを乗せられるので倍近くで実質「600円位」だったかな? 食事代を安くまかなえている分をこちらで使う!!

 だから、昼時でもガラガラでサービスが良いです。ちなみに身につけている服も夜営業に着用するようなそのままです。絨毯はふかふかで会話は全部英語、そしてひざまずいておしぼりを差し出してくれ、コーヒーを持ってくるとポットからコーヒーカップに注いでくれ、好みに応じシュガー、ミルクなどを調整してくれます。確か、タイムアップが40分位の時間だったと思うのですが、満足感はたっぷりありました。

 この近くを巡回しているときは立ち寄っていたのですが、ある日突然昼営業を取りやめてしまっていたのは非常に残念でした。理由は分かりませんが、やはり、昼の時間のコーヒー価格では高かったのが原因かなと思いました。私はお酒は飲みませんが、外国人の美人に給仕してもらったコーヒーはささやかな贅沢で美味しかったでした。

 この田村町と言う地域は新橋にも近く、会社員の人達がとても多く本当に色々なお店がありました。社員食堂や庁舎の食堂とは別に、当然、普通のお店にも行っていました。その中でも「田村町食堂」も思いでに残る食堂でした。自分で「おかず」をとる様式の「大衆食堂」でこのお店も美味しかったです。値段も安く、いつも混んでいたお店でした。

※余談になりますが「吉○屋2号店が新橋の駅目に開店し始めて牛丼を食べたのでした。当時、店の中で「精肉」も販売していましたが、すぐに取りやめになったのも当たり前ですが事実です。それと、すぐ近くに「1ドルステーキ※当時固定レートの360円」の店もできましたが、連日行列で入れずでした。

 虎ノ門の特許庁の近くにあった料小料理屋で、昼時だけ限定の献立で食べた少し贅沢な「親子丼」は美味しかった。800円位だったと思うのですが、タマゴがとろとろで真ん中に黄身だけが乗っていて箸で崩して食べるとなんとも言えないうまみが口十に広がり少しの贅沢感を味わえたのでした。ここは敷居が高いので、近辺を回っている仲間と複数人で行くのが常でした。

 勤め人では少し贅沢な食事の話のついでに当時、社内でバンドを作りその時にギターを担当していて別途クラシックギターの練習で指導をしてくれていた先輩がいました。その先輩の家に土曜から日曜に賭けて泊まり込みで指導を受けに行ったときのことです。夜になり、夕飯を食べに行こうとなって家は四谷だったのですが徒歩で10分くらいの所にあった料亭の様なとんかつ屋さんに行きました。

 個室に案内され何やら注文してくれ、少し待つと大きなお皿に乗った「豚カツ」が出てきました。その厚みは3センチはあるくらいの今まで見たこともないような厚さの豚カツです。さあ食べようと先輩が声を掛けてくれて、自分も箸を持ち食べようと、豚カツ(ロース)を見ると「切っていない」、何とそのままの姿でさらに乗っているでした。

 先輩に「これきっていませんけど」と言ったら、「ワハハ」と笑われて「箸で切れるから」と言われました。始めは理解が出来ず。おもむろに箸で上から刺すと「すっと」箸が刺さりました。そしてつまむように豚カツを挟み切ると切れるのです。驚きの柔らかさ、口に入れると少し弾力があり「うまみ」が口の中いっぱいに広がり衣と相まってその美味しさに驚いたのでした。

 先輩のおごりで価格は解りませんでしたが、当時としても相当の贅沢品だったっと思います。お返しは「課題曲※アルハンブラの思い出」を夏の合宿までに完成させろでした。美味しいものをご馳走になった事もあって、合宿の時には先輩に聞かせることが出来ました。(得意はフラメンコギターでしたが、当時はクラシックギターも勉強していました。)

 この「箸で切れる豚カツ」どうやって作られているかでした。その話を私の父親に話してみたら、とんでもない回答が返ってきてさらに驚きました。洗濯屋を経営している父親が何とその秘密を知っていたのです。父親は若い頃、男浪漫の船乗りで世界中を旅していた事があり、終戦後、洗濯屋の商売を始めたきっかけでもあった船乗りの職業でした。(父親のことはここで何ども書いていますが「終戦記念日、進駐軍と父の思い出」をご覧ください)

 長い航海、船乗りの生活の中、主な担当は機関士ですが洗濯を請け負っていたのは言っていましたが、調理も担当していたことはここで初めて知ったのでした。家で実際に時間があると色々、子供達に作ってくれていたことがあったのは事実でした。そしてその「箸で切れる豚カツ」の秘密を教えてくれました。世界中を回る貨物船で補給の為に色々な国へ立ち寄ると食料を仕入れる。

 食肉を仕入れるが当然、生肉は保存に限度があるため今の時代のように冷凍技術など無いから生肉を日持ちさせながら献立を考え、消費していくそうです。そして当時の肉は、お世辞にもうまくは無かったそうです。それで始めは「ブロック肉」を部位ごとにあった献立で使っていき。低温保存で熟成を越えて腐敗に変わる頃に、塊の肉をスープで煮るのだそうです。

 これにより「柔らかくなる」「日持ちが延長される」「色々な料理に使える」のメリットが生まれ、そこに登場したのが「豚カツ※カツレツ」でこれは当時、船の中でも一番人気の献立になっていたことを聞かされたのでした。これによりその秘密が理解でしたのでした。私はそんな父親の影響もあり、勤め人を辞めて自営業で「ピザハウス」を10年間開業してきたこともありました。少し長くなりましたが過去の「食」にまつわるお話でした。

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