テレビは共同視聴?

 

テレビは高級品で、私の所は商売をしていたので電話は早くに入っていましたがテレビは近所の、お金持ちの友達の家で見させてもらうために限られた時間で出かけて見ることでした。後は、街頭テレビはさすがになかったので「お風呂屋」さんで見たのでした。故に、相撲やプロレスの放送がある時間帯はものすごく混んでいました。

 

今考えると「客寄せパンダ的」な商売道具の一つになっていました。まだ、お風呂屋さんが沢山、下町にはあった時代です。当然、テレビを置いているお風呂屋さんが繁盛していましたのも事実で、子供なりにもすぐ近くのお風呂屋さんでもテレビを見ることが出来ない所は避けて、少し遠くのお風呂屋さんまで家族で出かけた物です。

 

やがて、我が家にもテレビ(色黒)が入ったときには、今度は見せる側になり「呼び出し電話」同様に、食事の終わった時間で夜の7時頃から9時頃まで特に「プロレス」の放送があるときは、隣近所の大人の男の人たちが集まりすごいすごい騒ぎになりながら大の大人が興奮しながら見ている、なんとものんきな時代だったことかです。お茶菓子を持ち寄り、母親はお茶を入れての大忙しです。

 

今では考えられない「テレビグッズ?」として「拡大鏡」や「カラーで色が付く?」が販売されたとき、すぐに父親は購入して取り付けました。しかしです「拡大鏡」はテレビ画面(ブラウン管)の前に「レンズ」を付けて大きく見える?(歪みがひどかった)は多少まだしもで、「カラーで色が付く?」は全くの「まやかし物」でよくこんな物を売っていたなと感じるも、それを買ってくる父をみてなんともでした。

 

透明なプラスチックにプリズムのように何層かに色分けしたセロハン(多分)が貼ってある、とてもまともに見られない代物でした。家族の反対もあり、拡大鏡ともにすぐに撤去となった代物も現実に販売され世の中に出回っていたのです。
そんな時間の経過の後、昭和38年我が家に「カラーテレビ」がやってくることになたのです。そうです、東京オリンピックをカラーで見るために父親が「月賦」で近所の電気屋さんから購入した「自動車」に次ぐ大きな家族の宝物でした。

 

さすがに「カラーテレビ」と言ってもカラー放送は、確か「東京オリンピック」が始まるまではNHKでほんの少ししかなかった記憶があり、早くに手に入れても放送自体が無いため宝の持ち腐れでした。昭和39年東京オリンピックが始まり、カラーで見たときには別の感動があったのを今もよく覚えています。