昭和の縁日 番外 「大人の決め事」と「地割り」、 「縁日の形態」と「口上による集客」
昭和30年代の縁日についてシリーズのように書いておりますが、今回の内容は「番外編」といたしまして縁日にまつわる色々な大人の事情も含め書いております。おまけとしまして縁日で使用されている露店の形態「三寸」、「小店」、「ビタ」や商売の方法「啖呵売」、「口上売」、「泣き売」他、解る限りの紹介をしておりますので興味がありましたらお読みいただければと思います。
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ひとりごと 右利き、左利き、左右両使いを「クロスドミナンス」と名前が付いていることを73歳にして知った私!?
昨年8月から突然的に「ボウリング」を始めました。しかも54年前はボーリングクラブに所属しその後は10年に1度程度、それでも何も考えずとりあえずボウリング場へ一人で出向きました。色々手続きを経ていざレーンへ向かう途中でボールの選択をするため、ボールラックへそして考えたこと、どちらの手で投げるか? 皆さんはここで疑問を感じたと思います。そうなのです。
普通ではない思考が頭を巡るのです。私の体的には「左利き」を主としてきました。54年以上も前の、当時を思い出し左用のボールなどないので、仕方なく右用で何とか持てる物を使っていたことを思い出し左で投げられるサイズのボールを探してみました。(後に判った事、今はボール、シューズ共に左右関係なく作られているとのこと)
左右、両使いの悩みなのです。そしてボウリングについて色々調べていて偶然見つけた言葉が「クロスドミナンス」だったのです。この言葉を掘り下げていくと、同様の悩みというか同じような事象のあれこれが沢山出てきて驚きました。自分を育ててくれた親からは「器用貧乏」といつも言われていたのでそれが本当の言葉とばかり信じていました。
そんなこんなで自身の「クロスドミナンス」の影響がどのように起きていきたのかを書き残して見ようと書いている次第です。自分史になってしまうので、くだらないと思えることですが同様の体験又はお悩みの方で興味がありましたら御笑読ください。
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2月 あっという間に1ヶ月が過ぎました。
時間だけは何の影響もないまま勝手に過ぎていきます。特に何かに夢中になっているときは時間の経過を忘れてしまう。そんな日が昨年から続いています。話は変わって「AI※人工知能」は使った事ありますか? 昨年発表されてからすぐに実用化になりました。そして今、多彩な機能を持ったタイプ別で進化し続けています。
こちらにも書きましたが50年以上前に「人工知能」の実験が始まっていたのです。今考えると、とても人工知能とは似ても似つかないシステムでした。そもそもCRT(ブラウン管式ディスプレー)に文字が出ることだけで驚いていた時代でしたが、新聞、テレビ等々、実験当日はものすごい人で賑わっていました。今は映画のSFの世界が現実に近づいていることに驚きです。私個人もAIは本当にお世話になっています!!
参考:
※写真はフリー素材を使用しています。
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昭和の縁日 食 「のしせんべい」 *現在は芭蕉せんべいの名前で販売されています。
見た目はとにかく大きな「草鞋※わらじ」の様な姿をしております。そしてどことなく漂ってくる、ほんのりとした甘い香り。そして近づくにつれその甘い香りが強くなり、人だかりがしています。その露店の正体は「のしせんべい」と呼ばれていた縁日だけに出てくるお店です。
その露店の人だかりは、おじさんが七輪でうちわをパタパタさせながら、しゃもじで手早く、大胆におせんべいの生地をしゃもじで押さえつけながらだんだんと大きくなって行く姿を見物しながら順番を待っている人達の姿でした。
1枚、1枚すべて手焼きで焼いていますから時間がかかります。それでも誰一人文句を言う人はいません。じっと煎餅の焼けるのを楽しみなながら待っているのです。おじさんも「口上」とは違うのですが、笑い受けするような話をしながら待っている人達に演出をかねて演じてくれる。
肝心の「のしせんべい」は口に入れるとほんのりと甘く、とても柔らかくあっという間に食べきってしまい履かなく亡くなってしまうのですがとても美味しかったです。「のしぜんべい」の生地だけも割安で買うことが出来ましたが、うまく焼けず失敗の連続の思いででもある縁日には欠かせなかった「食」のお話です。
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1月 今年はどんな年になるのでしょうか!?
1月 「いいものにっぽん」本年もよろしくお願いいたします。
昭和30年代 我が家の年末恒例「餅つき」!! ほのぼのした下町の年末の出来事です。
今年も残すところあと数日になりました。毎年この時期に思い出すのが昭和30年代ですが毎年12月28日、我が家の年末恒例「餅つき」です。この当時、のんびりした下町の私道、と言っても人通りも多くそれなりの私道です。
ここへ「茣蓙※ござ」を地面に敷きその上に「臼※うす」と「杵※きね」を設えます。当時は住み込みの職人さんも2人いて、父親、私の兄2人、その他の人達でそれなりの人の集団に見えます。
そこへ物珍しさで集まってきた近所の人、通りすがりの人も加わり道がふさがってしまうのです。
その道を使っている人には迷惑ですが、それでも誰一人小言を言う人はいませんでした。そして家の台所から蒸し上げた蒸籠(せいろ)に入っている餅米を臼に入れると餅つきの始まりです。臼の餅を返すのは祖母の役目で餅をつく音とせわしなく動いている人々でお祭り騒ぎでした。しかしある年からは仕事場に場所が変わりました。
そんなのんびりした我が家の年中行事のお話です。
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昭和30年代 上野アメヤ横町の活気
皆さんご存知の上野アメヤ横町、昭和30年代に子供の目で見たここはもう別世界で平日、日曜も関係なくいつも人込みのがある街。食品、衣料品、見るものすべてが初めてのものばかり、ガム一つとってもものすごい数の種類があり色、形と選ぶのに迷います。
価格も安く子供の小遣いでも十分に買うことが出来、チョコレートも種類と形状の違った物がたくさんありました。その中でよく買ったのがコインチョコ、いろんな外国のコインを模したアルミホイルでお金のように包装されたものです。この当時は、ほとんどの菓子類は輸入品が多く本当に見るだけでも楽しかった思い出が頭に残っています。
そんな昔のアメヤ横町を舞台に短編のお話を書いて見ました。興味がありましたら、ご笑読ください。右側写真は昭和36年撮影のNHKアーカイブのデータよりキャプチャーした画像を使用しております。
尚、動画の部分「
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