ラジオ

ラジオは夢の箱

 

今ラジオは普通にインターネットで聞ける時代になり、昭和時代のラジオの話など何の役にも立たないでしょう。しかし、当時は貴重な情報源であり娯楽でもありました。また、当時は録音した放送など昭和30年初頭ではほとんどが生放送の時代でした。私も大人になり、当時の状況を色々調べたり、テレビなどで昔の時代を取り上げてた番組があると必ず録画しておき後で入念に時代背景を読み解き自分の記憶にある情景を取り混ぜて時系列での経過や相関関係なども含め読み解くのです。

 

結構大変な「作業?」になるのですが、意外な発見もあったりで「私事※しごと」として楽しんでいます。私の家で仕事場に朝から流れていたのが「FEN※米軍の英語放送」で今も健在の放送ですが、家業でもある洗濯屋の仕事場で大きな音で流れている「英語放送」はなんともおかしな物でした。それは、「むかしぶ」の中で「終戦記念日、進駐軍と父の思い出」で書いた通り在留米軍との関係からが大きく影響していたことからです。

 

まだ、テレビが買えない時代で子供ながらに楽しみにしていたのが「ラジオドラマ」で、私が学校から帰ると夕方に始まる番組への「チャンネル権」ではなく「ダイヤル権?」で自分で好きな放送局を選択できる楽しみでした。ラジオの前で放送が始まるのを楽しみに待つ、なんとも自由でわくわくの一時でもありました。そして、テーマ音楽が始まると全身で耳に神経を集中させる。何よりも、映像として見えない世界を音で情景を自由に想像し幻想の世界に酔いしたる。

 

後から考えて、想像力や理解力、記憶力が自然と身についていた事を後に考えたことがありましたが、残念な事に学業への転用は一切で来ませんでしたね。連載物の「赤胴鈴之助」や「ホームドラマ」は本当に好きでした。それも、全て「スタジオ」で「生放送」する、演技する人も放送技術者の人もすごい職人技の技術です。特に、驚きと興味を持ったのが「効果音」の「擬音」でした。身近にある材料で「雨」や「波音」等々、職人技です。

 

今の時代なら、自由に色々な音を作り出せる機材が沢山ありますし、生の音の一部を取り出し「音程」等も変化させて利用できる「サンプラー」と呼ばれる音作りが出来る時代になりました。物がないから「創意工夫」の考えが一層深くなり作り出す能力へと変わっていったのだと思います。ラジオ本体も子供でも持てる「鉱石ラジオ※ゲルマニュームラジオ」が手に入るようになり、電池も必要無い音質は良くないが不思議な「ラジオ」が自分の物として持てたときは本当に嬉しかったです。

 

しかし、鉱石ラジオは安定した受信が出来ないため、アンテナを工夫(針金で作った)したり色々な工夫で子供なりに考えても後に知った当たり前の構造的な限界でした。成長の過程で多少の電子工学?の知識で鉱石ラジオに毛が生えた位の物で「トランジスタ」を使った「超再生式ラジオ」を作り、FM放送が受信できた時には「感動」でした。こんな簡単な回路で「FM検波」と「音声再生」が出来ることから色々な物を作って来ました。

 

特殊な無線送信機の装置を作っていて直流600ボルトで感電、衝撃で吹きとっばされ気絶したことも過去の思いでです。直流600ボルトはすごいです。死んでもおかしくない!?