情話

口上売の風船売り(職人情話)

 

ゴム風船を口上でこれほど価値を付けて笑いを誘い、観客を集めて売っていたのは他にはないと思います。筆者の記憶に残る、縁日のスターといっても過言ではない風船売り。念仏を真似た口上と豊かな顔の表情で真似たゴリラの仕草も技だったかもしれません。口上の面白さで風船を売る、とにかく、一度見るとその滑稽な仕草と口上は忘れることは出来ないでしょう。この話も、もう過去の話になってしまいますが、何とかその情景を感じ取っていただけるよう書いて見たいと思います。

 

売り物は「ゴム風船」です。この風船、なかなか当時としては丈夫な素材で出来ていて、その強度を独特な仕草とお経を唱えるような口上で笑いを振りまきながら、見ている人々に丈夫さを見せ付け一つ一つ足踏みのポンプで膨らませながら売っていたのでした。

 

「南無阿弥陀・・・おいらの風船は割れねぇぞ・・・バンバン」

 

顔は、ゴリラを真似た顔つきでしゃべりまくる。この頃には、人垣が出来るほどの人気で笑いが耐えない。

 

「ほら、こうやっても割れねぇてんだ。割れたら、金はいらねぇ、くれてやる」
「おいらの知ってる、偉い先生が発明した風船だ」
「新聞にも出てらぁ、みてみぃ」
「よぅ、そこのかあちゃん、見えるかぃじゃねえや、読めるかぃ」
「さぁ、次はだれだ」
「南無阿弥陀・・・」

 

人相は怖いくらい悪く体もでかいそれに、とにかく口が悪い、なのに、憎めない立て板に水のような切れのいい喋り。怒る客も誰ひとりいない不思議な雰囲気。どんなに、注文が入っても丁寧に同じことを唱えながら風船を膨らませていく、決して手を抜かない仕事、一つ作るのに大体五分はかかる、そのたびに例のごとくお経のような口上を唱える、幾つかのパターンがあり、それにアドリブのようなものも入れての熱演だから人が絶えることがない人気者だった。

 

もう一つ目を引いていたのが、パリでの興行写真?なぜ、これもよく自慢していた。エッフェル塔を背景に興行している写真でした。
「香具師の俺が本当に、フランスから招待されたんだ」と言っていました。この時代、外国に行くなど一般ではまずありえない時代にゴリラ風船の興行で招待されたというのは本当にすごいことだと今も感じています。
後に、テレビにも出演したと写真が増えていたのを覚えています。いつも来るたびに掲げている屋号の書かれている看板とベニヤで出来ている掲示板のような物も商売道具で、ここに色々な写真が貼り付けてあり、ここが来るたびに増えていっていたのです。

 

「おい、小僧なにしてる」
「・・・」
「あとは、夕方からじゃねぇとやらねぇぞ」
「・・・」
「おめぇ、その顔に口ついてねぇのか」
「しゃべらねぇと、こんな顔にしちまうぞ」

 

と、言いながら百面相のようにいろいろな顔つきでにらみつける。そうこうしていると材料の入った箱から黄色地に黒縞の入った細長い風船を膨らませて子供の頭に巻いてあげたり、休憩時間に子供だけでからかいにいくと、縁石に並べて座らされ、お説教のように色々な話を聞かせてくれたりもしました。筆者もその一人、何か、失礼かもしれませんが見た感じと人柄とはぜんぜん違う、とても暖かな人の印象がいまだに残っています。興行の人員構成は、ゴリラおじさん、奥さん、弟さんの三人でいつも同じ顔ぶれでした。呼び方も、子供たちでは「ゴリラおじさん」大人は「ゴリラの大将」と言っていました。

※ この話でご隠居との会話では「徳蔵」の名前にしています。

 

「徳蔵さん、いつも人気だね」
「こりゃ、ご隠居」
「さっき、見させてもらったよ。いいねぇ、下手な落語よりよっぽどうめぇや」
「ちょっと気になったんだが、徳蔵さん飲んで事(こと)してねぇか」
「いやぁ、ちょっと」
「ちょっとじゃねぇだろ。だめとはいわねぇが、量入ったら体にゃよくねぇぞ」
「へぇ、どうもはいらねぇと、なんだか調子がでねぇんで。つぃ」
「ま、小言はこれくれぇで」
「徳蔵さん、こんだぁ、テレビ出るってじゃねぇか。てぇしたもんだ」
「何だかわからねぇが、声かかったんで柄じゃねぇが引き受けたんでさぁ」
「おっと、長居はいけねぇな、徳蔵さん、がんばれよ」

 

※ 当時の駄菓子屋などで売っているゴム風船は、ゴムの質の問題なのかちょっと強く押したりするとすぐに割れてしまうのが当たり前でした。風船にも色々な種類がありましたが、みな、似たようなもので丈夫というものではなかった。
皆さんもご存知だと思いますが、細く長く伸びるように膨らむ風船で、ねじったり折り曲げたりしながら細工のできるものなどは、メーカにより強度もかなり違っていたように思います。ここの店(駄菓子屋)のはだめだからあちらの店のほうが長持ちするとか、子供ながら重要な情報交換の会話でした。

 

そんな時代の、ある時期に現れたのが先の口上売の風船でした。生ゴムという言葉が子供のあいだに出てきた頃だと思います。(昭和三十四、五年)とても柔らかいゴムぐらいの知識しかありませんでしたから、たたこうが、押しつぶそうが、ひねろうが割れない縁日の風船はインパクトがありました。口上(宣伝文句)の中での宣伝と看板の脇に新聞のでも紹介されたことの記事を板に貼り付けて、生ゴムが混ざっていて特許をとったような話をしいていました。

 

それに、子供の頭の四倍位の大きさまで膨らませて、大きなヨーヨーのようにゴムひもを付けて遊ぶことが出来たのも初めての体験ですから、もう、興奮したものです。売り方も独特、念仏のように何か(何を言っているか判らない?)うなっている。商品の説明も何かとても詳しく説明していた。ここで、強調されていたのが「生ゴム」の話だったが、判らないなりにも何か納得できたように思えた縁日の思い出の露店でもありました。

やまぶき鉄砲(職人情話)

 

天然素材から作られた自然がくれた玩具、山吹鉄砲。構造はいたって簡単で、竹で作った水鉄砲と原理は同じ、山吹の髄(スポンジのような白い茎)を弾にして細い竹の筒に詰めて弾を空気圧で押し出して山吹の芯を飛ばす竹製の鉄砲です。

 

昔から長い間、生活に関わっているものに「竹」があります。皆さんの身の回りを見渡して見ると必ず何処かに竹があると思います。小さなものは菓子などについている楊枝、団子の串、竹の箸、今風なら竹炭、など以外とあるものです。
竹、竹といっても種類も多いがその中でも篠竹や矢竹を利用した工作物で縁日でしか手に入らなかった自然がくれた玩具、やまぶき鉄砲の話です。

 

「ポン・パン」なんともいえない濁りの無い軽い音、想いだしませんか?縁日の風景。朝早くに行くとその場で竹を加工しながらまだ作っている。その作るところを観察するのも趣味でした。企業秘密の加工技術を盗み観て、自分でも同じものを作るために、でも、最後は出来たものを買って遊んでいる自分がいました。

 

ざっざっと鋸を引く音が、外に聞こえる。入り口には長さと太さの違う竹が沢山、立てかけてある。
季節は師走、ここは、やまぶき鉄砲を作っている三瓶さんの居住い。
正月からさくらの頃まで関東一円の露店で販売する商品の作成に追われている日々が続く・・・

 

「おふく、新しい形の山吹鉄砲を売るために材料も多く仕入れたが思っていたより手間がかかるな」
「なに、言ってるだ。手間がかかるのは判っていたでねえか」
「あいよ、判っちゃいるのになさけねぇな。だがよ、これ、まだ他所じゃねぇもんな」
「うんだ」
「高くも売れるよな」
「とうちゃんの考えたもんだ。間違いねぇだ」
「あぁ、あんがとよ」
「もっと、たくさん作らないとな」

※ 当時の普通のやまぶき鉄砲は単発式の簡単構造の物が主流となっていました。同業者も多く、塗りや補強の為の針金などで飾りを付けて他の露店のとの差別化を工夫により、行っていました。
そんな、やまぶき鉄砲に旋風を巻き起こしたのが、連発式の物でした。完成度も高く、竹細工でこんなことも出来るのかと驚いたものでした。
当然、値段も高くなかなかすぐには買うことが出来ず憧れの玩具に入っていました。
やっと、買うことが出来ても構造に無理がある為か、遊べるのは二、三日程度でどこかしら壊れてしまい耐久性はありませんでしたが十分満足できました。

 

「じゃまするょ」
「こりゃぁ、ご隠居」
「師走はどうだい?」
「こんだぁ(来年)、新物をかけようとこんなのを作っているんだが、ご隠居どんなあんべぇかな」
「どれどれ、ほー、こりゃまた、なんだか複雑な作りだね」
「今までの形だけじゃいけねと、手を入れてみたんでさぁ」
「で、どういう風に使うんだい」
「ここの、蓮根みたいなとこに、こうやって弾(山吹の芯)をつめて、こんな風に蓮根のような弾倉を回しゃぁ、後は続けて打つことができるんでさぁ」
「これは、世辞ぬきでよく出来てるね」
「ご隠居のお墨付きをもらやぁ安心だ」
「だがょ、三瓶さんこれ、いくらで売るんだぃ」
「ご隠居、そこなんだ」
「まだ、決まんねえんでさぁ、作る手間かかるし・・・」
「三瓶さん、手間かかっても商売の相手は子供だ。三百円がいいとこだろぅ」
「ご隠居の値踏みならまちがいねぇ、三百円だ」
「おふく、きまりだ、いいな」
「あいよ」
「ご隠居、世話になるばかりですまねえだ」
「おふくさん、そんなこたぁねえよ」
「おふくさん、それはなんだね」
「あまった、竹のきれはしで鳥笛を作ってるだ」
「ほー、それも面白いな」
「これも、細工してなぁ、こんなに鳴るだ」

 

おふくは、作りたての鳥笛を吹いてご隠居に聞かせた。

 

「いい音だ、鳥の鳴き声のように音が出るね」
「ご隠居、こんなのもあるだ」

 

もう一つの竹笛に、水を少し入れて吹いてみる。

 

「これもすごいな、音が鳥のさえずりのように聞こえる」

 

※ 鳥笛、当時、観光地などでも盛んに売られていた陶器で作られていた物を、笛の素材を竹にしたもので水を入れて吹くと空気の振動につれ、音が揺れる水でさえぎられ、さも、鳥のさえずりのように聞こえる笛がありました。水を入れないでも音は出ますが、ただの連続した音にしかなりません。また、竹の性質を利用し、やまぶき鉄砲の技術をそのまま応用した、竹笛(縦笛)の先のほうにピストンのようなものをつけて音階を変えることが出来る物もありました。

 

「こりゃ、まね物だが、余り物でこせぇたから安く売るだ」
「三瓶さん、おふくさん、こうゆうのもあると、張った店の客づきも良くなるよ」

 

年が開け、諏訪神社境内の同業露店の中でも新作を持った露店は人気がありました。最新式の連発式のものは目を引いていましたし、鳥笛も実演していたので、いい音が響いていますから当然、訪れる人々の気を引き値段も安かったのもあり鳥笛はよく売れていました。
当の、連発式のやまぶき鉄砲は、やはり子供には高額商品ですから笛のようには売れてはいませんでした。

 

ただ、子供のあいだだけではなく大人も、この連発式のやまぶき鉄砲には見とれていました。筆者も、お年玉で縁日の最終日に少し安くしてもらって購入しました。縁日の開かれている期間、毎日、朝、昼、晩と毎日通いつめているものだから、当然、仲も良くなります。その、恩恵を受けたのでした。

当の、やまぶき鉄砲も早々に、他の玩具などに影響され縁日から消えてしまいました。
近年、やまぶき鉄砲の復活版で縁日に登場したと何かの雑誌で見たことがありましたが、連発式などは無く普通の単発式ものが並べてありましたが、押す部分がプラスチックで出来ていたりで、何か別の物のように感じました。
これも、時代でしょうか?

しんこ細工(職人情話)

 

しんこ餅というものをご存知でしょうか、柏餅などにも使用されている団子の食感のような餅で材料は米を粉に挽いてお湯で練り蒸してから、ついた餅でこの餅を指先とハサミで動物や縁起物の形に整え色を付けて出来上がったものを縁日や街中の路地などで販売していた。また、客の注文に応じて作るなどもしていた。

引き戸の近くに近寄ると湯気と共に香る白米の炊き上がる時のなんともいい香り、今日もなにやら忙しそうに物音が聞こえる。ここは、しんこ細工を生業にしている末吉さんの仕込み場と住まいを兼ねた棟の前、表には移動販売用の自転車もあり商いも順調のようだ。

 

「末吉っぁん、精が出るね」
「これはご隠居、散らかっているが、茶でも出しますから、まぁ、あがってください」

 

大黒さまのような笑顔の末吉さん、仕込みの手を休め訪れたご隠居を手招きで座敷のほうへ誘う。

 

「たいした用でもないし、忙しいようなら出直すよ」
「ご隠居、早めの仕込をしているだけだから大丈夫です。今日は又どうしたんですか?」
「末吉っぁんにお願いがあって来たのだが乗ってくれるかい」
「はぃ、ご隠居の願い命と引き換え以外なら何でも聞きます」
「で、なんですか?」
「まだ、何も言っていないのに引き受けてくれるたぁ、末吉っぁん、ありがとよ」
「実はね、孫の初節句に宴席を予定しているんだが帰りにお土産として初雛、段飾りを模した物を末吉っぁんのしんこ細工で作ってもらえねぇかと相談に来たのさ」
「ご隠居、あっしなんかでいいんですか?」
「末吉っぁんの他に誰がいるってんだ。受けてもらえるね」
「ご隠居、ありがとうございます」
「よろしくたのむよ」
「ご隠居、あっしのしんこ細工を使う訳を聴いてもいいですか?」
「末吉っぁん、時が過ぎると世の中の仕組みも変わってくるよな、でもよ、逆らうことなど出来ゃしない。菓子も西洋の物がどんどん入ってきている。昨今、ケーキとやら言う出来損ないのふにゃふにゃした菓子が入ってきたりしている。それも、祝い事にするときはその上にローソクなんか立てやがって、仏様に供えるわけじゃねんだってんだ。若い連中は、それを見て大騒ぎしながらみんなで歌ってる。どうなっているんだってしょうがない・・・。
なんだか年寄りの愚痴のようになっちまったな」

 

※ 昭和三十年代は、世の中大きな変貌の時代でもありました。東京オリンピック、流行(パーマ・ロカビリー)、電気製品(三種の神器と言われたテレビ・洗濯機・冷蔵庫)、食生活もインスタント食品(ラーメン・コーヒー)が販売されたり、住まいも西洋文化取り入れたデザインの団地なども建設されたり、先の話に出てくるケーキなどの洋菓子が市場に出回り始め食生活も西洋文化に浸り始めました。

 

「ごめんよ、的が外れて。世の中変わるのは逆らえねぇ、だから、少しでもいいものを遺せるようにと思ってよ、末吉っぁん、日本の職人の腕ってのは、こういうものも作れるんだと、皆に見せてあげてぇんだ」
「ご隠居の気持ち聢と受け取りました。末吉、一世一代のしんこ細工を作ります」
「末吉っぁん、礼はたんとはずむから、じゃたのみますよ」

 

何か安心したように去って行くご隠居の後姿を見送りながら、当の末吉の顔からは笑顔が消え真剣な眼差しでしばし呆然とその場に立っていた。

 

※ ここで、しんこ細工について少し説明させていただきますと、お餅のようなもので生菓子ですから賞味期限も一日が菓子として食べられる限度で、当時は硬くならないように添加物で調整するなどありませんでしたから、作り立てをしばし眺めて少しずつ食べていくものでした。
また、しんこ細工の職人は本編に出てくるように露店と家屋と両方で商いしていた方もおり、家屋は今で言う祝い事などの予約が主で普段は移動式(自転車)の露店で縁日、路地裏や空き地、小学校の近くなどさまざまなところで店を広げていました。
簡単なものは十円から買えました。たとえ十円の商品でも見ているその場で保温されている鍋の中からしんこ餅を、一つまみ取り上げ動物の形に整えると食紅で色を付けて小さな紙の切れ端に乗せて手渡してくれました。
味は、ほんのりと甘い味のついた餅を食べている感じです。その当時は、楽しみの一つでした。
出来立ての手に伝わる温もりと目で見て楽しめ、やわらかくもっちりとした食感は今でも頭の中に残っています。

 

「よし、言った以上はやるしかない」

 

末吉、吹っ切れたように、仕込みの途中だった作業を再開させたのでした。

 

「材料も見直ししねぇといけないな」
「絵図も描かないと・・・」
「食紅も色鮮やかに仕上がるのを探さないと」
「すぐに食べられるものしか作っていないから、持って帰る時間で硬くなってはだめだし、かといって柔らかくしたら形が崩れる」
「米を配合して新しい生地を作らないといけないな」
「もたもたしていられない。いまから二ヶ月」

末吉、日々の商いをしながら食材探しに西に東に奔走していました。絵図も色々な構図を書き、何とかはっきりと絵になり、主となるしんこ餅の配合も完全ではないが試行錯誤の末、何とか今までとは違うつやと適度な弾力、時間が経ってもそれほどの変化を受けない生地に仕上がりつつあるのでした。

 

※ しんこ餅の原材料などは製菓材料の卸問屋から米を挽いて配合されたものも手に入る時代でしたが、色々な米を自家で配合し臼で挽いた独自のものを使用していたところもありました。配合されて安く販売されているものは便利で使いやすいがそれなりの仕上がりにしかならず風味もありませんでした。特に、しんこ細工のようにハサミや指先で細やかな整形を施すには独自の配合技術も必要でした。後に和菓子(生菓子)は伝統的な技術に新しい技法なども加わりすばらしいものが多く世に送り出されています。

 

「ご隠居は良い試練を与えてくれた。もし、話をくれなかったら、そのままのものしかなかった。これだけ真剣に取り組んだのは何十年ぶりだろう。しんこ細工の親方に丁稚に入ったとき以来かもしれないな。」
「いいものを作る為の勉強を忘れていた自分にご隠居は気が付いていたのかもしれない。」
「このままでは生き残れないぞ・・・」
「時代はどんどん変わってきているぞ・・・」
「そんなことを、お孫さんを引き合いに出し、愚痴のように説教をしてくれた」
「時代は変わっても、人の人情というものは変わらない・・・ ご隠居、楽しみにしていてくださいね・・・」

 

末吉、ご隠居の人情に熱く胸打たれ、より日々の商いに精を出し、しんこ細工も際立った作品を作れるようになっていました。そして、いよいよひな祭り当日、朝早くから仕込みに追われる末吉、顔は以前の何か余裕のある大黒さまになっていました。

「末吉っぁん、今日、よろしくたのむよ」
「ご隠居、お任せくさい。お客様が見える前にひな壇の前にお客様にお土産にするものと同じものを、先にお供えさせていただきます」
「末吉っぁん、それはいい。皆、おどろくだろうな」

 

一度に、多く作るのもめったに無い、ましてや組み物なども初めてなのに余裕の顔つきで仕込みしている。その姿は楽しんでいるかのようにもみえる。しんこ餅もでき上がり小分けして、食紅で着色したものがどんどん出来ていく。一通り、色付けされたものが揃うと、いよいよ、絵図に描いていたものを一つ一つ作り上げていく、その出来栄えは、食べ物がまさしく美術品かと見紛う、しんこ細工であった。
末吉は、お供えのための最初の一組を、ご隠居の家に届けに行った。

 

「ご隠居、末吉、一世一代、最初のしんこ細工です」
「おぉ・・・末吉っぁん、すごいぞ、さすがだ」
「おーぃ、皆、こちらにきなさい」

 

※ しんこ細工は昭和四十年代にはほとんど見かけることは無くなってしまいました。家屋を持っていた方はそのまま和菓子屋さんに転向したり、転職してしまったりで残念ですが、これも、食文化の多様化による素朴な味の需要離れからのものではないでしょうか。

針金細工(職人情話)

 

縁日には必ずといっていいほど露店があった職業です。針金を簡単な道具と手で玩具や飾り物を見ている前で作ってしまう。玩具はゴム動力で動くものもありました。

 

「源さん・・・ 源さん・・・ いるかい 」 
「私だ・・・ 中、へぃるよ」

 

ご隠居の徳兵衛が格子戸越に声をかける。※徳兵衛「職人長屋」の大家でもある通称「ご隠居」

 

「これは ご隠居 家賃の催促?」
「わたしゃ、そんな用事で来たんじゃありませんよ」
「じゃ何しに・・・」
「何しには無いだろ 最近、源さんの姿を良く見かけるのでそれが心配で・・・」
「ご隠居・・・わからねぇ?」
「大家の気遣いと言うものだ良く覚えとくことだよ。長屋に居るということは、仕事をしていないと同じことだろう。仕事をしていなければ実入り(収入)も少ないということだ。それが心配で覘きに来たんだよ」

 

※ 大家(家主)と店子(借家人)の関係というのは、本来は他人同士だが「縁」や「人情」というものを大事にしていた時代でもあり、大家と店子のつながりも親と子の関係のように考えて心配という「大きなお世話」をやくのも大家の生きがいのようでもありました。

 

「ご隠居、仕事をはしょってるわけじゃねぇんだ」※はしょってる=省く・怠ける
「じゃ、どうしたんだね」
「出し物に客の飛びつきが悪くなって売れねぇ」
「源さんの作る針金細工は職人仕事の技の逸品じゃねえか、それが何で売れなくなったんだ。高い値段でも付けたんじゃねえのか?それとも、手を抜いて作ったのか?」
「ご隠居、俺は腕一つで生きてきている根っからの職人だ。そんなこたぁ、今までにもやったこたぁ一度もねぇ。毎年、年始から世話になっているお諏訪さまも人は多いが、売れねぇ・・・」

 

※ お諏訪さま=JR西日暮里駅・諏訪神社正月と八月のお祭には多くの露店が並ぶ、この時代は諏訪神社から日暮里駅まで通ずる道の両側を色々な露店が競い合うように並んでいました。本書の主な舞台ともなっている下町でもあります。今も、当時の面影を残しており縁日も以前ほどの勢いはありませんが例年開催されています。広重の名所江戸百景にも描かれた場所でもあります。

 

「源さん、一つ得意のものを作ってくれねぇか」
「へぇ、ご隠居に? お孫さんにでもあげるんですかぃ」
「いいから、早く」
「ちょっと、まってくだせぃ」

 

と、言って源さん道具と材料を揃えだした。道具といっても、大きさの違うペンチ(工具名)が4、5種類だけの身軽な道具箱をご隠居の前に置いた。実際の露店などでは組み立て式の屋台があり、台の上に毛氈をかけ商品を並べて実演販売を行うのが一般的な形式でした。

 

「うーん・・・?」

 

源さん、しばし考えてから体を小気味よく動かしながら何かを作りだした。その姿をご隠居はただ黙ったまま見とれています。両者、無言・・・。時間が経つにつれだんだんと形になってきた。一本の針金が形と共に何か息づいてきているようにも感ずる針金細工の造形品。十五分ほどの沈黙の後「三輪車」が完成した。

「ご隠居、お待たせいたしやした」

 

ご隠居、出来たものを手に取りしばらく眺め、無言のまま笑みを浮かべてうなずいている。

 

「・・・」
「ご隠居、どうしたんですか?気に入りませんか?何か言ってくだせぃ」
「源さん、これはいくらで売っているんだい」
「三輪車は百円」
「さほど高い売値ではないが・・・? いつも店を張って作るときは黙って仕事をしているのかい」
「ご隠居、職人てなぁ口が軽いようじゃいい仕事はできゃしません。気が散って物などこさえるなんて出来ませんよ」
「源さん、そこだよ。時代は変わってきている。玩具もいいものが安く売られてきている。源さんの針金細工もいい、が、所詮、材料は針金で出来ている。子供の遊び方じゃ長くは遊べないよな。だったら、作るところを見せて楽しんでもらうのも商品にしたらどうだい」

 

ご隠居、追い討ちをかけるように畳み込む。

 

「語りを入れて売ったらどうだい。三輪車ならここが難しいとか、ここをこうすると動くようになる。こうやって遊ぶとか。やってごらんよ。源さん」
「ご隠居、勘弁してくだせぃ ただ黙って作るしかとりえのねぇ俺が、人の前でしゃべるなんざ、天と地がひっくり返ったって無理なことだ」
「源さん、それしかとりえの無い一つの腕がだめになったらこれからどうするんだ。ただ黙って落ちぶれていくのか、そんなやつを長屋へ置いておくほど、わたしゃお人よしじゃないよ。言われたとおりやるのかやらないのかどちらだぃ、わたしゃ生粋の江戸っ子だ、とっとと決めないか」
「・・・」
「ご、ご隠居、すまねぇ 言われたとおりやってみるよ。とっ、言ってもどうすればいいか俺の知恵じゃ皆目見当が付かねぇ」
「源さん、この長屋を見渡してごらんよ。風船売りをしている念仏の徳蔵さん、紙芝居の善さんが居るだろう、私から話を通しておくから指南を受けるといいよ。すまないね小言になってしまって、店子が苦労しているときは親となるのが大家だ判っておくれ」

 

斯くして、源さん一大奮起。露店を生業としている香具師の人々は、各々の商いの地域と日程を持っていました。何月の何時は何処其処の神社、暦で四の付く日は何処などと予定をもとに商いをしていました。但し、香具師の世界はしきたりの厳しい仲間意識の強いところです。勝手に、店を出すなど出来ません。たいがいは顔つなぎを仲立ちの世話役に頼み、地元の興行主、神社、古参の香具師との調整で出店場所の地割をしてもらい始めて営業ができるようになります。同じ長屋に住んで居るからと言っても同じところには出向かないのです。
互いの予定の隙間を使い念仏の徳蔵さん紙芝居の善さんに手ほどきを受け何とか「語り」の形も出来てきました。後は、源さんとお客との「語りの」合いの手となる即興が勝負となりますが、出たとこ勝負で勇んで出陣。

 

「ご隠居、三月さくらの時に弁天さんの処で語りをかけてみようと思う」
「源さん、徳蔵さん善さんから出来の具合を聞いているよ。ちょっとぎこちないが、腕があるからすぐに物になると言っていたよ」
「ご隠居、語りにあわせて新物も考えやした」
「ほー、それは楽しみだ」
「花見をかねて長屋の皆を連れて源さんの初舞台を見に行くことにしようじやないか。」

 

※ 当時の針金細工の価格は「かけうどん一杯が六十円」程度で食べられた時代でしたから縁日では高い方の玩具に入っていました。玩具も、セルロイド製のものからプラスチックに変わり始めて、駄菓子屋などでも当時はやった「銀玉鉄砲」という玉の飛ぶ原始的だが自動で連発して打つことが出来る玩具の鉄砲が三十円ほどで買うことが出来た、、ぜんまいとはずみ車を組み合わせた色々と動く自動車や乗り物も安く買える時代になると同時に、縁日の露店の職種も変わり始めました。

 

最初に姿を消し始めたのが「針金細工」でした。後、一部の細工師の方はバネに使用するような硬質な針金を使用して知恵の輪のようなものや、カラーのビニールチューブで被覆されたリング状の集合体で正式な名称は判らないのですが「造形美」を楽しむパズルのようなものの販売に転向して行ったようです。先の「語りを入れて売る」は実際に、縁日では見物人が他の寡黙な細工師よりも人気があり笑い声と共に多くのお客さんを集めていました。当然、私もその中の一人として見物していました。商品だけでなく今も心に残してくれた「想いで」というものを沢山いただきました。現在、全国で数名の方が縁日ではなく、技術伝承のために色々な催し物などで活躍されているようです。

 

※ 昭和三十年代に流行した玩具
フラフープ・ダッコちゃん・ホッピング・ローラスケート・探偵手帳セット・銀玉鉄砲・ブリキ製ぽんぽん蒸気船・透明プラスチック水鉄砲・リリアン刺繍・ベエゴマ・メンコ・ビー玉

職人情話短編

 

book_title_ph.jpg当世、懐古ブームなどもありなんとなく本書をお読みいただける皆様に、少しでも文字の上でその時代を感じていただければと、セピア色した想いで…なんて、格好を付けて書けたらと内心は欲をかいているのですが、頭の中の一角を占めているほこりをかぶった記憶に少し手を加えて、昭和三十年代の職人や職業を長屋仕立てでご隠居と共に語る「職業伝」として書きあげてみました。

さー、ここから先は「ご隠居」の案内で昭和三十年代の職人長屋の話になるよ。

用意はいいかい

いくよ--

 

※「長屋」とは平屋で屋根が一つの建物を壁一枚で、仕切りを一戸として何世帯もの住人が同じ屋根の下で生活をしていた集合住宅。棟割長屋とも言う。

 

2004年4月5日 まぐまぐ、NRI、コニカミノルタが共同で、メールマガジンを書店店頭で印刷・製本・販売する「まぐまぐ文庫」を開始~あなたにも手軽に自費出版ができる!~
株式会社まぐまぐ・株式会社野村総合研究所・コニカミノルタビジネスソリューションズ株式会社

 

2003年5月一般公募で採用(20タイトル)され、こんな大きな企画プロジェクトへ参加させて頂いたときの初稿原稿の短編を公開しました。

 

1話 しんこ細工

 

2話 やまぶき鉄砲

 

3話 口上売の風船売り(ゴリラ風船・ゴリラ商会)

 

4話 針金細工