鋳掛屋(いかけや)

 

鋳掛屋 生活に欠かせない鍋やヤカン等の台所で使用する道具、今はほとんどが家庭用に作られた物は使い捨て。確かに価格も安く手に入ることもあり、修理など考えも及ばないと思いますが昔は違っていました。

 

 ほとんどの道具類は修理をして使用し、修理が可能なような材質で作られていて「鋳掛屋」と言う修理屋さんが「いかけぇー」の呼び声を自転車で町内を回っていました。いま、物を消費する時代からリサイクルと言う言葉と共に、再利用しようとする時代に変貌しつつある。

 

 とてもいいことだとは思うのですが、物にもよりますが個人的にはもっと長く使えるものを作るか、補修を前提に代々使用できるなども必要ではと考えます。

 

 この長く使える良い物を作っていたのが色々な職業の職人さんですが、時代も変わり難しい世の中で一途な職人さん、今はどんどん減ってしまっています。

 

 今の時代でも補修すれば長い間使用できる物は存在します。しかし価格的にも、ごく限られた方たちしか利用することは難しいでしょう。

 

 ここではそうではなく、ごく自然に物を大切に使用するための知恵と技術があった昭和の時代のお話です。昔は鍋や釜が生活の必需品でいた時代に、台所用品や風呂場で使用する用具や風呂釜(銅製の釜)の修理屋さんがいました。

 

 鋳掛屋さんと言う商売で穴のあいてしまった鍋などを、器用に銅などの板でつぎはぎをして直してしまう。見ていると手早く色々な道具でたたいたり、削ったりしながら鉛のようなものをバーナーで溶かし、銅の板をあてがい修理すると、修理代を頂戴し呼び声「いかけー」の声と共に次のお客さんを探していくのです。

 

 自転車の荷台に道具の箱を積んで、ハンドルやら自身の肩に色々な材料を担ぎながら来る人。リヤカーを自転車で牽引してくる大掛かりないでたちで訪れ大物もこなす人、また金物専門の人と木桶や風呂桶(昔は木の桶)なども一緒に修理する両方の職人さんがいた。後者の方が、融通がきき注文も多かった。

 

 私の住んでいた町内には利用客も多かったのか、定期的に修理に来ていたのを思い出す。またサービスで包丁なども研いでくれることがあり便利な存在だった。

 

 不思議な現象で修理したところが再度壊れることはなく、鍋などは完全に底が抜け、修理不可能になり交換となるくらいにしっかりとした修理技術を持っていた。

 

 そんな町の職人さん達も、時代の辺と共に世の中から消滅してしまいました。使い捨ての文化にすっかり切り替わり、それが当たり前の日常になっているのですから致し方ありません。
消費は美徳などと言葉が出来たときもありましたが、これも時代の流れに身を任せるしかないのですね。

 

 お櫃(おひつ)、炊いたご飯を保管しておく桧の入れ物なども、部分的に木を取り替えることも行ってくれた。だめになったところの部分を取り外し、新たにその部分と同じものの桧の材料を削りだしてあてがうのである。

 

 そして最後に銅の箍(たが)も締めなおしてくれて修理完了となる。 変わった修理では傘も修理してくれた。一部、傘専門の修理屋さんもいたのですが滅多にこないので、鋳掛屋さんに皆、頼んでいた。

 

 傘も、修理してとことんまで使う。今のように壊れてもすぐには絶対に捨てない。壊れたものを保管しておき、鋳掛屋さんが来るとまとめて修理に出すのである。

 

 今ほど車の往来も無い時代だから道端で作業をしていても大丈夫、何ともおおらかな生活が出来た時代でしょうか。この職業も、消費することに美徳を感じる時代に入りだした頃、無くなってしまった職人の技術でもある