昭和三十年代、ある夏の縁日


 子供たちの夏休みもそろそろ終わる頃、諏訪神社(荒川区西日暮里)のお祭がやってきます。毎年の祭りでも今年は四年に一度の大祭。大人も子供も何か落ち着かない。祭りの一週間前となると町内のあちこちで、社務所が町会の人々により設営されます。

諏訪神社 また、それと同時に各家の軒先へ粋な袢纏(はんてん)と地下足袋姿の鳶の親方と若い衆がリヤカーを引きながら、祭りの提灯とお飾りを飾るための鍵形をした木で作られているものを軒先に取り付けていきます。

 その後を付いて行き取り付ける工事を観察する。この辺りから頭の中は祭り一色、祭前日ワクワクしながら諏訪神社へ朝から見に行くのです。まだ前日と言うのに何と思われるでしょう。境内の飾付けなど、その仕事を見るのも楽しみの一つなのです。

 神社の階段に陣取り駄菓子を食べながら神楽殿の飾付けを見たり、縁日を取り仕切っている世話役やその筋の関係者たちによる露店の地割を見るのも好きでした。もうここからが、縁日の始まりのようなものですから日が暮れるまで見ていました。

 見世物小屋などは、小屋を作ったりするのでやはり前日から用意をしていたりして結構楽しい日になるのです。得することもありました。昼前からいるので当然せわしなく働いている人達の目に付く、皆が休憩でお茶を飲んでいるときに、お菓子のおすそ分けを貰えたりすることもありました。

 そして、夕方日が暮れる頃自宅に戻るのです。夏休みも終わりの頃ですから、当然やらなければならない宿題も残っていますがぜんぜんやる気はない。
頭の中は明日の縁日でいっぱいですから、親に怒られるのもあたりまえ。何とか小言の嵐をやり過ごし、近所を一回りしてから明日のために早寝をします。朝日が昇ると同時に起き、朝御飯も食べず一度神社へ見に行きます。

 子供の足で自宅から歩いて15分位でした。続々と露天商の人達が来ています。お決まりの場所から高みの見物でしばらく眺めてから家に戻るという、親もあきれるほどの縁日好きでした。しかし当時の我が家でも、祭りの時などは仕事を休業し神輿の来るのを皆でのんびりと待っていました。

 当日は小言も言われることもなく特別な小遣いを貰える良い日、この小遣いをもとに2日間をどう過すかが重要。本殿に近いところから露店を一店一店のぞき品定めをする。諏訪神社の本殿に近いところ(現JR西日暮里駅)から縁日の終わりが日暮里駅近くまで当時は続き、出店数はわかりませんがかなりな数がありました。

 本殿階段近くに店を開いているのが砂糖菓子の露店、砂糖のような物を固めて着色してあり小石、岩、鯉、灯篭、山、貝、魚等の形と色合いで箱庭のように飾ってあるのです。正式な名称はわかりませんが小石の形をした小さな物以外は、結構値段は高かったので縁日の商品ではなかったように思えました。たまに小石を買う程度ですがとても綺麗でした。

諏訪神社 縁日

 その隣はあんず、みかん、すももなどを水飴で包んでくれる露店。この露店は今も健在で、当時はルーレットを真似たクジがあり、当たるとその当たった本数分をくれた。ルーレットといっても棒の中心に穴をあけて、くぎで打ち付けただけの棒を手で回し、その棒の先が止まったところに書いてあるだけの簡単な仕掛けでした。

 しかし、これを買うと手がべとべととなるのですぐには買わない。値段も安く美味しいが、すぐに垂れて来て手の自由がきかなくなるため、最後の最後帰るときに買う。

 そして、参道をはさんで少し奥へ入った場所に、呼び込みの声も大きくゴザとむしろと木の柱で組み立ててある小屋が建っている。これは見世物小屋でよく笑い話にされる、出し物のちょっといんちき臭い興行「さー よってらっしゃい みて らっしゃい」の、あれです。

 でも何か憎めなかったし、だれも文句を言う人はいなかった。皆「何だ」と思いながらも、それなりに楽しんでいたのかもしれない。

 本殿を背に参道を日暮里駅方向を見ると、もうそれは壮観でした。長くまっすぐに続く通路の両側にも、露店が隙間なく商いを行っている。また、日に何回かはお神楽のお披露目もあり、なんともいえない雰囲気に興奮状態で歩き回っていました。

諏訪神社 縁日 諏訪神社に通ずる裏階段と呼んでいたわき道を上がったところに、文化フライと呼ばれているさつま揚げのようで何とも素材がわからない、美味しいフライがありました。

 1回10円で店先にあるクジで、くるくる回る矢印の棒を指で回し、当たりの本数をもらえるのですが不思議と一本しか当たらなかった。文化フライを食べ歩きながらキョロキョロ、喉も渇くため今度は氷水と呼んでいた露天に行く、大きなガラスの入れ物に色の付いた水が入っています。

 そこには大きな氷が浮いている1杯10円の「氷水」がある。赤(イチゴ味)・黄色(パイン味)・緑(メロン味)の3種類の味があり、紙コップに大きなひしゃくですくい入れてくれる。

 この氷水の露店も多かったが、店によって味が全然違うので決まった店でしか買わない。氷水に入れるシロップはカキ氷にかけるものと同じ物をただ水で薄めた単純な飲み物でしたが、やはり夏の炎天下には美味しい飲み物です。

 一息つくと、今度は針金細工の露天に行き買わないで見物しながら言葉を交わす。結構おじさんとは仲がよくて非売品の細工物(試作品)を貰ったり出来た。休憩後、今度はコルク鉄砲の射的をする。

射的 自慢できるくらい射的の腕前は結構なものでしたので、打ち落とした商品をもらえるが、高額品は物理的に取れないのをわかっているので飴、こけし、泥人形が打ち落とせるものだけでした。

 射的の露店も商売ですから、そう簡単に取られないように商品の乗っている台を手前に傾けてある、だから当たってもなかなか向こう側には落ちない。だが、板のたわみで真中のあたりは意外と傾きも少ないところがあるので、そこにある商品の天辺よりも少し下を打つと落ちる。なんと言うこともない物でしたが、鼻高々で仲間に見せたものでした。

 他の縁日は輪投げ、ひもの先に商品が付いたクジ、水ヨーヨー釣、金魚すくい、雷魚釣、形抜き等の、現物の商品や景品がもらえる露天も多くありました。参道の中心位のところで、セルロイドで作られた人形やパイプ等で色鮮やかに飾られているのがハッカ菓子の露店、ここも一通り眺めて次の布張りの飛行機を売っている露店へ。

 見た目はかっこよく、配色も綺麗に出来ているが高価であり、なぜか絹のような布が翼や機体の胴の部分に貼付てある。動力はゴムで、プロペラが回り飛ぶような構造にはなっていた。

 胴体の部分も立体的に作られていて、駄菓子屋で買った工作の飛行機とは全然違いかっこいいのだが、飛んでいる所など誰も見たことがないから「あれは飛ぶのかな?」と仲間内でよく話をしていた。

 さらにキョロキョロしながら歩いていると、今度は臭いにつられて行くのが「のしせんべい」と呼んでいた、柔らかく少し甘い煎餅のようなお菓子です。練炭の入った火鉢に餅網が乗せてあり、その上で草鞋(ぞうり)のような形をした煎餅生地をあぶりながら木のへらで押し付け、焼き上げていくとどんどん大きくなっていきもとの生地の四倍くらい大きくなる。

 その焼き立てがまたうまいのです。ほんのり甘く、軽い歯ごたえは何かとても満足できる菓子でした。また、生地だけの販売もしており持帰りの土産でもよく買いました。

海ほおずき境内を抜けるところにあるのが「海ほおづき」の露店、見るだけでしたが岩と原色の色とりどりの海藻、大きくいろんな形をした貝の受け皿に飾ってありました。どちらかと言うと、女の子が多く集まる露店で、ただ口に入れて「ビュービュー」と音が出るだけの物をなぜ買うのだろうかと不思議に思っていました。

 この隣が「綿菓子」の露店、ザラメを入れると白い糸のようなものがくるくる回る機械の脇から出てくる、そうするとおじさんは割り箸を入れ、クルクルと糸のようになった綿飴を巻き取っていくのでした。

 しばらく歩くと生き物を販売している露店があり、金魚や丘ヤドカリと呼ばれている沖縄以南で丘に住んでいるヤドカリです。ホウロウの白い洗面器をいくつも並べ、真ん中に置いてある
木製の梯子でヤドカリが群がっている、小さなものから大きなものまで豊富にある。なかなか愛嬌のある顔でしぐさも愛らしく、何となく眺めているのもいいものでした。
富士見坂足を進め、このあたりがちょうど富士見坂のあたりになります。今は名前だけになってしまいましたが、この当時は坂の上から見ると富士山が真正面に見えました。余談ですが、この富士見坂を突き当りまで下り、左に曲がって少し路地をいくつか越えて歩いたところに落語家の五代目(故)古今亭志ん生の家がありました。

 この富士見坂のあたりに来ると毎回、大人も子供も並んで待っている繁盛店が目に入ります。ベビーカステラと書かれたのぼりがひらめくき、近づくと香ばしい甘さを含んだ何ともいえない香りで、少し大掛かりな設備でなにやら忙しそうに焼いている。一口大の卵形のカステラを焼いているのだが、いくら焼いても間に合わない位売れるのです。

私もこれは並んで買い求めます。値段も安く焼き立てを食べられるのと、腹持ちもいいので良く食べました。このベビーカステラは、今も健在でたまに出かける祭などの縁日で見かけることがあります。もし見かけましたら、ぜひ食べてみてください。おいしいですよ。

 カステラの袋を手に持ち立ち寄るところは七色とうがらしの露店、子供がなぜとお思いでしょう。口上と仕草に特徴があるからニヤニヤしながらただで見物するのです。

 一つ一つの素材を丁寧に説明してくれるし、唐辛子を入れる入れ物を見るのも楽しみの一つでもある。本物のひょうたんで出来ているもの、木製の小槌(こづち)・角樽(つのだる)等細やかに彫刻された置物風、色々な形があり今と比べると細工仕事も丁寧な加工が施されていました。過去を振り返れば随分大人びた子供でした。

 その次は並びにあるガラス細工の露店、色の付いたガラスで動物を形どった小さな置物のようなものをたくさん並べてあるのを眺め。並びにある、当時としてもかなり時代遅れのような木目込み人形を売っているおじさん。

 毎年同じ場所に店を張り、なぜか、威勢のいい声で呼び込みをしている。売り方もすごかった。人形同士をたたきつけ、壊れないことを強調する。特徴は関節が動くと言うことを、何とも怪しげで艶っぽい男と女の組み合わせで表現していた。

 そして日暮里駅まで抜けてくると、今度は根津の方に向かい谷中銀座(谷中銀座商店街)まで遠征。何となくうろうろしながら一通り用もないのに見物、また来た道を引き返していくのです。

 帰りはいよいよ目をつけておいた露店を目指し、品定めをしておいたものを買い求めます。遊びの道具であれば道から外れた広場で日が暮れるまで遊び、夜になるとこれがまた昼とはぜんぜん違った雰囲気があり。

 もう子供ながらにも、その人込み中にいるだけで満足していました。この頃には小遣いも底を尽きますので、一度家へ戻り小遣いを再度ねだりに行くのでした。
家族も祭りのときは寛大で小言もなく追加の小遣いがもらえるのです。再度カーバイトの匂いと揺らぐ炎、ほんのりと明るく続く光の帯、浴衣の柄が河のように見える雑路を目指し、新たな夢を買いに出かけた夏の一日でした。

諏訪神社 縁日 縁日全部を紹介できず、はしょって書いていますが補足とし紹介します。ノシいか(するめいかをコンロで軽く焙りローラを使い伸ばしてくれたおつまみのようなもの)・木工細工(木片で玩具を作って販売)・吹き矢(紙筒で出来た吹き矢)・十徳ナイフ(色々の機能の付いたナイフ)・お面(現在の露店と同じ)・ガス風船(当時、水素ガスの危険なものもあった)・起毛の付いた針金細工(色の付いた起毛が付いた針金の人形など)。

 べっこう飴(薄茶色で割り箸の先に型抜きした飴)・カキ氷(今と同じ)・氷ボンボン(ゴムで出来た入れ物の中にジュースのようなものが入った凍菓子)・拡大機売り(小さな絵を元になぞると大きく同じ絵を描ける道具)・カルメ焼(今もある砂糖を煮詰め重曹で膨らませた菓子)

 色砂絵(糊のような水溶液で下絵を描いて色の付いた砂をかけて絵を描く)・コリントゲーム(大きな板に釘が打ちつけてあるパチンコの簡単な様式)・鯨尺(尺・寸が計れる竹の定規)まだまだ沢山ありますが、きりがないのでここいらでお終いにします。

 写真は一部を除き平成18年8月大祭の時に撮影したものです。その時の光景は、ここで書いたようなにぎやかさや華やかさもなく過去の記憶は薄らぎ少し寂しくなる思いでした。

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