ひとりごと 「はたらく」って何だろう・・・ アントニ・ガウディとサグラダファミリア、そして設計の基本となった砂袋?

 毎年、正月が終わる頃になると72年間を生きてきたことの実感と常につきまとっている「はたらくことって何だろう・・・」と、本当に頭に浮かぶのです。そして過去を振り返り、いまの自分の生き方はこれで良かったのかと?
女房と3人の息子そして息子達の6人の孫を含む家族、、自分で思うのも何ですが波瀾万丈ではないですが、本当に勝手気ままにここまできてしまいました。

 このホームページでも最近は自分の過去のお話を書くことが多くなっている傾向にあるなと思っております。生きて行くことが「はたらく」ことなのか、生きるために「はたらく」のか、家族を守るためなのか、色々と考えが頭をよぎるようになってきました。昭和40年代のアルバイトのお話をよく書くようになっているのもその傾向からだと自分でも思うのです。

 最近の中でも書きましたが考えは、少年の頃から「硬派」でそれも「超」が付くくらいに考え方が少し、普通の年代から比較すればずれていました。正義感は人一倍強く、何か理不尽な事に従うことが出来ず反感を買うことが多々ありました。高校生の頃から「はたらく」を覚え、学業はそっちのけで自身の体と技術で金銭をいただける事を学び、人と人の繋がりや、お付き合いも若くして社会勉強をしてきました。

 そんな生意気な少年が爺さんになりました。またも昔のお話に・・・、数十年も前に見たテレビ番組でスペインにある今は世界遺産の「サクラダファミリア」を総監督として建造に着手した「アントニ・ガウディ」の生涯を取り上げているのを見て感動し、こんな考えの人がいることに驚き生きているうちに一度は見てみたいと夢を描いていました。

※ここに登場する人物の名前は敬称を略して書いていますことご了承願います。

 アントニ・ガウディはいつ完成するかも解らない夢の設計と建設に生涯を捧げ1926年路面電車で事故に遭い死亡するまで、資金難に見舞われながら生涯をささげました。ガウディが生涯を捧げるまでを紹介し、ガウディ没後しばらくの間は休止状態だった工事継続を多くの国民が寄付を募り、その後国としてスペイン政府に彼の意志が引き継がれ現在も建設は続いています。(現代になってから問題となった、大切なことですが夢が覚めてしまうので建築許可の問題の話は割愛します。)

 ガウディの設計思想とサグラダファミリア大聖堂に向けられた彼の生き様は尊敬する人物の1人となりました。ガウディは建設に関わる慢性的な資金不足になりながらも自身の私財をも投入し、みすぼらしい姿になりながらも寄付を募り、いつ完成するのかも解らないまますべてをサグラダファミリア建設に捧げた偉人アントニ・ガウディです。

 スペインの街にはガウディの設計した建物や公園が残っています。どれも個性的で斬新な設計から生まれた芸術品ばかりです。ガウディを自分の目で見てみたいと言っていたことを、今は亡くなってしまった若い頃から世界中を旅し歩いた私のすぐ上の兄が、15年位前になりますが、私と女房をスペインに兄が同行し連れて行ってくれました。(それまでも多くの外国旅行を企画し兄弟達にプレゼントしてくれました。)

 夢が叶い、スペインを1週間で回る日程でしたがサグラダファミリアのあるバルセロナは最たる重要ポイントとして楽しみにしていた所でした。始めて見る本物のサグラダファミリア、当日は小雨が降っていましたが憧れのガウディに近づけたことで大満足でした。外観、内部と見て回り、一番気になっていたのが地下にある博物館でした。ここは、あまり人も来ないようでひっそりとしていました。

 ここで実物を見たかったのが「砂袋を吊した設計手法」の模型でした。小さな砂袋を沢山天井から吊しているのです。それが何を意味しているか? サグラダファミリアの特徴の一つでもある、構造物の至る所に見受けられる緩い曲線の基になっていることがこの模型から生み出されたことです。自然で美しく、無理のない荷重バランスを導き出す設計方法でした。

 このような発想を1880年代に考えていたことです。現代の設計でも専門的には「カテリーナ曲線」と呼ばれる最も自然で荷重バランスのとれた自然で美しい曲線となっているようです。逆さに吊すことで重力の影響を表現でき、デザイン的にも見ることが出来る手法を考えていたのです。兄の話では下側に鏡が置いてあり対面で立像が見られるようになっていたが行ったときには壊れたかで鏡はありませんでした。ゆえにそのままを撮影しました。

 これを見て思ったのです、宗教的なたとえになりますが人間も自然な形は無理せず虚勢を張らずに心がけることが一番美しいのではと・・・、と、考えるのですが出来ないのも人間ですね。ガウディに例えるのはおこがましいのですが、ガウディはこの偉業を「はたらく」と考えていたのかなのです。

 ここではもう一つの夢、サグラダファミリアで「会えたら」、「見かけたら」でもいい人がいたのでした。今は、日本人彫刻家「外尾悦郎」として有名人になっています。サグラダ・ファミリア主任彫刻家(後、芸術工房監督)が今の肩書きです。ここまでの道のりは相当険しいものがあったことでしょう。

 こちらの方も、数十年前にテレビの番組で紹介されたのを見て憧れでもあり何か相通ずる物を感じ感動した人でした。ガウディに憧れ自分でも何か関わりたい、その一心で単身スペインに渡り、何のつてもなく飛び込みで「はたらきたい」と交渉を試みたのでした。当たり前ですが、言葉の壁や習慣の違い、ましてや何処の誰かも解らない、それも相手からすれば「外国人」です。

 どうしようもなく日本の領事館へ出向き、自分の考えと実情を伝え入口を模索したそうです。領事館の領事の口利きで何とかアポを取り付けてもらい約束の時間に出向くも、今日は忙しいから・・・、予定していない・・・、これから出かけるから明日再度来てくれ・・・、等々、理由は色々で相手にされない。それでも諦めずその繰り返しを何度となく数ヶ月の時間が費やされたそうです。

 そんな状況でも決して諦めず交渉を続けたことで、やっと現場の担当者が会ってくれたそうです。そして開口一番、何が出来る? そうですよね。当たり前です。それでも採用するという概念はない世界だそうでした。いわば小間使いのようなあつかいになっていたようです。それでも、ガウディの世界に一歩近づけた事で満足できたそうです。

 月日は経ち次第に「石工※いしく」としての才覚が出てきて表現が悪いのですが「こいつはちょっと違う」となったようです。設計図がないすべてが「創造」の世界です。才能が生み出す「造形美」が感動を与え人の心を動かす。
改めてネットで見たら、1年1年が、真剣勝負で次の年はあるのか解らない、力が無ければ「もう来なくていい」と言った世界だったそうで35年目でやっと「芸術工房監督」になったそうです。

 これも「はたらく」になるのかなって考えるのです。この話に例えるようなおおごとな事ではないのですが、私の生き方として似たようなことしてきたのでよく分かるのです。一番長く在籍していたファストフードも「いつ首になってもいい」と、常に覚悟をしながら新しい事への実行と提案をし続け、あるときは強行で実行する。

 そして、良い影響を与える何らかの結果を出してきました。表彰も何度か受けましたが、もう自身では組織的に改革の限界を感じ1995年「一匹の子羊」はインターネットの大海へ出航したのです。会社を興したときに「営業をしない会社」として始めました。お役に立てる技術を売り物にし自分で何処まで出来るかでした。

 アナログとデジタルの融合を商品にすることがコンセプトで始まった「一匹の子羊」は30年弱「はらたく」を「趣味」として実行し、本当に多くの人達の出会いがあり72歳になりました。感謝あるのみです。

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