昭和41年 アルバイトに目覚めた高校1年生がサラリーマンの給料3ヶ月分のギターを購入!!

 高校入学と同時にアルバイトに目覚めた、うら若き少しひねくれ正義感だけは人一倍の少年です。夏休みの期間だけのアルバイトによる、自分自身で働きお金を得ることを覚えてしまった熱き野心はさらに燃え続けました。そして今度は、学校が終わってから夜に出来るアルバイトはないかと探索に走りました。

 学校の仲間内では情報が無く、学校の帰りに道草で池袋駅で途中下車してよく遊んでいたが高校生を募集しているところなど皆無です。そんなとき思いついたのが我が家の家業である洗濯屋の得意先に「ビル管理」をしている会社で、都内に幾つも大きなビルの管理業務を請け負っている会社がありました。

 この会社で使用している制服のクリーニングをすべて請け負っていました。1週間に2回ほど車で綺麗に仕上げた制服の交換に、車で私の兄が出向いていました。早速、兄にアルバイトが出来るビルがないか聞いて欲しいと頼んでみたところ、何とすぐに来て欲しいとの返事が兄を通じて届きました。

 場所を聞くと東京駅の八重洲口にあるビルで、人員が不足しているので夜だけでもいいので来て欲しいとのことでした。学校が終わり番地が書いてあるメモを見ながらそのビルへ向かい説明を受けました。駅近、八重洲口に直接結びついた今も現存している9階建ての大きなビルです。

 到着早々に面接開始、時給は「1時間 120円 交通費全額支給」で学校が終わった時間の夕方6時から9時までの3時間で1週間に3日(月・水・金)の条件ですぐに働いてもらいたいとなり、当日そのまま制服に着替えてトレーニング開始となりました。

 ここからが本当に私の人生に大きく影響を与えることになった出来事でした。会社員になってからもアルバイトが続いた「ビル掃除 アルバイト 命」の人生の始まりでもあります。時給80円から始まりすぐに辞めたアルバイト、そして夏休み期間だけのアルバイト時給100円になり、そして「時給120円」はとても大きな収穫でもあり、綺麗にすることの達成感も感じられた自分自身にむいていることも実感できたアルバイトでした。

 仕事にも慣れしばらくしたら1週間3日は、すぐに土日も加わりフル回転となっていきました。それはなぜかと言えば単純です。働かなくてはいけない環境に追い込んだことでした。大きな買い物をしたため、自分を追い込んだきっかけである「クレジットカード」の始まりなのです。

 世の中の若い者はグループサウンズ、ビートルズとわいわいと騒いでいる中、私は「フラメンコギター」の魅力にとりつかれ、学習方法や情報もないままに1人独学で、たまたま秋葉原で買った雑誌の付録の「ソノシート」で音を頼りに弾き方を探りまねていました。

※「ソノシート」とはビニールで出来たレコードの代わりになっていたものです。プレーヤーでレコードと同じように聞くことが出来る便利な物でした。ペラペラで柔らかく安く作れるので当時は雑誌の付録に付いていることがありました。フラメンコギターの演奏が入っていたソノシートは映画の紹介のような雑誌の付録になっていた私には唯一の教材でした。映画「バルセロナ物語」の題名で、映画の説明といくつかの曲の譜面が載っていた物で宝物でした。

 しかし、このときに自分で持っているギターはクラシックギターです。フラメンコギターの音は演奏される時、独特の少し濁った音で聞こえます。自分の持っているギターではどうやってもその音は出ません。当たり前でしたギターの構造自体が違うことを後でしったのです。そのきっかけはオーバーですが、運命の出会いでもある「手作りギター専門店」でした。

 この構造の違いを目の当たりにしたのが後に購入のきっかけとなった「手作りギター専門店」で出会った「フラメンコギター」でした。では「フラメンコギター」との出会いはといいますと、アルバイトない学校の帰りに良く立ち寄る「池袋駅」でうろうろしているのはいつも東口でした。この日は友達とボウリングに行こうと誘い、普段行かない西口の「ロ○ボウル」と言うボーリング場へ向かい何ゲームか遊び帰ろうとしたときです。

 なにげに出口の脇にある店に目がいき見たらギターが幾つもウインドウーに飾られているのでした。興味に惹かれのぞき込む、始めに見るのが「価格表」です。その価格を見た瞬間、これは別世界だと感じました。あまりにも現実から離れ過ぎた価格、高校生の私は驚くばかりでした。この日はしばらく眺めていたけど、友達に帰ろうと促されその場を去ることになりました。

 ショーウインドーに展示してあった肝心のギターの価格、一番安い物で当時の一般的なサラリーマンの月給3ヶ月分です。これを高校生の私が買うことなったのが前に書いた「クレジットカード」の話に繋がり、サイン一つで分割払いで買うことが出来る事を知った事になるのです。

 現物を先に手に入れられ、代金は分割で支払う方式でアルバイトさえ続けていれば高校生でも不可能ではないと考えたのです。何と単純で危なっかしい発想でした。しかし、ここはクレジットカード自体を手入れ実行に移せる体制が出来ていたので、日曜日にアルバイトをお休みし1人でクレジットカード持って目標の「手作りギター専門店」へ行きました。

 恐る恐る店内に入ると、見るからに少年です。少年が来るところではないぞと言わんばかりに、冷やかしに見えたのでしょう。黙って、怪しげな目で見られていたのを忘れません。沢山の色々なギターがすべてショーケースの中に並んでいます。触ることは出来ません。
自分自身、おどおどするだけでどうしようもありません。

 しばらく呆然としながらショーケースを眺めていたら、経営者の人が声を掛けてくれました。私は開口一番、フラメンコギターを買いたいとストレートに言葉を発し、そしておもむろに「クレジットカード」を見せました。余計に怪しく思えたのか、本当に疑われました。当時は、まだ一般にもそれほど広がっていない代物です。ましてや高校生の少年が持っているですから当たり前です。

 そして、ストレートに「フラメンコギター」を買いに来たと伝えました。今度は、学生証を持っているかと聞かれましたが買い物へ来たのに学生証など持っていません。すると家に電話で確認をしてもいいかと聞かれました。少年ながらも「お客」だろうと思いながらも、言い返すことも出来ず。

 そのまま引き下がることもできないので、自宅へ電話をしてもらいました。当然、家では知っていますから店の経営者も納得したのか今度はやっと、お客様の扱いになりました。失礼なと思いながらもこれで堂々と買うことが出来たのですから、うれしさがこみ上げてきました。

 さて肝心の「フラメンコギター」ですが知識は全くありません。そんな少年がプロ用の物を買うこと自体おかしいと思うのも当たりまです。そして、いくつか対象のギターをショーケースから出してもらい、初めて触ることが出来ました。その瞬間の感覚で、クラシックギターとのネックとフレットとストリングの厚みの違い、音の違いを感じ取ることが来たことでした。

 3種類の見た目の違うギターを見せてもらっても、その価格差の違いなどは分かりませんので、一番安いものに決定しました。それでも、何度も書きますが「当時の給料の3ヶ月分」です。確か分割払いの最長回数が「20回」だったと思います。クレジットカードを渡し、当時は「転写プリンター」と呼ばれた機械で伝票にカードを情報を写してから、その伝票に「サイン」をして完了となりました。

 これで自分の物になった「フラメンコギター」です。その後、このギターは50年以上の年月、私の手元にずっとありました。私も歳を重ね振り返れば、若い頃は熱くなって練習をしていましたが熱も冷め憧れだったスペインにも行くことが出来すべてをまっとうできたきました。

追記

 このずっと私のそばにいた「フラメンコギター」でしたが、このまま朽ちては寂しいなと思い誰か価値が分かってくれる人がいれば譲ろうと考え、いやしくも「オークション」に出品したのです。すると、とんでもない金額で落札されました。そして、そこから信じられない新たな物語が始まったのでした。

 それは落札された方と1年間くらいメールや手紙や色々な物の交換だったりの付き合いが始まったことでした。偶然にも、当時私が購入したお店で同じタイプ(制作者名)の「フラメンコギター」を購入した方で偶然が重なり、自分で持っていたのものが壊れてしまい。もう二度と手に入らないと思っていたところに、私が出品したことが重なり出会いとなったことでした。

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