昭和46年 「コンピュータ支援教育※当時は電子計算機」今の時代の「人工知能」の基礎となる、CAIシステムの実験が始まりました。

 

 昭和40年代アルバイト時代の話からいきなり、当時のコンピュータと言うより呼び名は「電子計算機」の話に変わります。高校生活、すべてアルバイトに身を託した少年は進学もせず就職しました。とにかく勉強嫌いでしたので、大学への道もあったのですか働く道を選び就職をしました。器用貧乏で少しの専門知識を生かし、技術職の会社へ就職を行い又新たな技術習得を行っていきます。

 

 今の時代は文字を送ることはメールを代表として色々な形とシステムで簡単に送ることができます。しかし、昭和40代ですから実際に私も技術の仕事に入って初めて目にした色々な方式の通信機器や印刷電信機(通信できるプリンター)等々、これを管理する仕事で、もう心は興味と共に早く覚えていきたいでした。

 

 ちなみに当時の「デジタル」のベースになっている符号・構成・送出はすべてアナログの機構がベースでした。専門的な名称になりますが、まだ「真空管」の名残ある時代で、やっと「トランジスタ」を使用した「ロジック回路※二進法」の構成が出だした頃です。今はコンピュータですが「電子計算機」と呼んでいた時代の話になります。

 

 コンピュータに必要不可欠な皆さん普段使っている「キーボード」ですが、当時はこれもメカニックの塊で、コンピュータに必要な「デジタル符号※ロジック」もメカニックで送出される仕組で構成されていました。今考えると当時、そのメカニックを考えた人はすごい能力だと感じます。

 

 今、皆さん使っているキーボードはスイッチのような構造ですので、改めてキーを押したときの重さなどあまり感じないと思います。当時のキーボードはメカニックそのままでモーターの力も借りて「符号化」していましたので、ホントにキーを強く押し切らないと反応しませんでした。これくらいにして次へ行きます。

 

 自慢になりますが器用貧乏の私はとにかく得意分野ですので、入社して6ヶ月位で東京で150人くらいの社員で構成され、関東領域で管理をしている通信機器のほとんどを覚え障害発生でもすぐに回復できるスキルを身につけていました。私の管理対象となっている所は霞ヶ関の官庁街を中心に民間企業を管理顧客として持っていました。

 

※当時の「テレタイプ※印刷電信機」や「データ転送機器※鑽孔テープ」で1分間に送れる文字数(カタカナ)で回線の状態が良くても50文字程度でした。スピードの単位も「ボー※baud」と飛ばれる単位が使われていました。

 

※ボー (baud) は、変調レート(英語版)の単位である。ボーは、搬送波に対する1秒間あたりの変調の回数と定義される。出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 この仕事に誇りを感じていたのは官庁や会社の「機密情報管理」の中枢に出入りできる事でした。そんな色々な所を管理する中、本題の異状に興味をそそる話が入ってきたのです。「電子計算機」が問題を出し、それを人間が解答し正誤の判定と、その人の学習レベルを判定し、適正な問題を再定義する事が出来るシステムの開発が始まるとの話でした。

 

 今は普通に「人工知能」として一般化していますが当時はSFの世界であり、ましてや「人工知能」の言葉すらありませんでした。それはこの計画が世の中に一般公開された当時の資料が、現在もインターネットで公開されていることでも分かりました。

 

 それはどこかと言いますと現在もある「一般財団法人 機械振興協会」で、調べたら現在インターネットでも当時の資料が公開されていてその一部をお借りして抜粋をこちらでも紹介させて頂きます。

 

※機振協CAI システムの概要 ※出典:一般財団法人 機械振興協会(1972年 資料抜粋)

 

 CAI システムとしてはアメリカのStanford System,RCA System、GE−TuitDr System、PLATO System、1BM System、Univac System がすでに実用に供され、またわが国でも数祉が実用化の研究を進めているが,このすう勢にかんがみ機械振興協会はその事業の一環である新機械普及の促進事業のプP ジェクトの一つとしてCAI システムの製作設置を計画し,昭和44 年11 月末A 社を主契約者とするA ・B・C・D4 社よD なるプロジェクトチームと製昨に関する契約を締結し製作を開始するとともに、これと平行して以下に述べる学習プログラム作成が進められ、システムおよび学習プログラムは昭和46年7月完成し機械振興会館内に設置されもっか学生・会社団体職員を対象としてテストランを行なっている。

 

CAIシステム

 

 

 この説明では「 CAI システム」と紹介されているのですが、この資料の全体の中でも肝心の「CAI」の略文は見当たりません。実験の始まりは確か、昭和45年位(1970年)だと記憶しています。東京タワーの近くの(一般財)機械振興協会の建物の中で実験プロジェクトが始まりました。日本国内の色々な企業が集まり機材で色々な構成され取り組みが始まったのです。

 

※CAI(Computer Assisted Instruction ※コンピュータ支援教育)

 

 私も初日に参加し、実際に体験をしてみました。参加企業から多くの人達が訪れていて、報道関係の人達やらでそれはもう大変な騒ぎでした。大きな机にCRT(ディスプレー)とキーボード、そしてCRTペン(今のタブレットペン?)を使って、画面に出てくる問題へ解答していくシステムでした。今のようにマウスなどはありません。表示された問題への解答は、キーボードで番号を選択するか、CRTペンでCRT(ディスプレー)へCRTペンを押し付けてシステムでした。

 

※CRT(Cathode Ray Tube)ガラスで出来たブラウン管を使用したモニター

 

 実験最初ですから色々なエラーや動作の不具合が出て当たり前ですが、当時感じた事は人間が作り出したすごいシステムだと感じた事でした。CRTペンの反応の鈍さや誤解答も多々ありましたが、ご愛敬です。

 

この大がかりなシステムは実証実験を繰り返していたのですが、やはり実験開発とは言えども構成機材と機材投資、管理費用等々大変だったと思います。その後も何度かシステムの進化を見に訪れいたのですが大きな進展もなく、私がこの業界を離れた後も一般の普及にまではいたらず一般には普及しないで開発は終わってしまったようですが、今の時代への礎になったことは間違いない事です。当時、色々な管理を行っていた時の面白話も沢山あるのでまた機会をみて書いていこうと考えています。

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