昭和41年 ビル清掃員のアルバイトは色々な人との出会いであり、私の人生に大きな影響を与えてくれました。

 アルバイトに目覚めたうら若き少しひねくれた高校1年生の少年、親のすねをかじらず自力で「サラリーマンの給料3ヶ月分のギター」を購入したことから働かざる得ない環境へ自分自身で追い込み、学校とアルバイトの生活が始まりました。当然、本来の学業はおろそかになりますが、工業高校で自前の知識で専門科目は卒業していたので余裕ででした。

 しかし主要科目は全くダメ、それでもめげずにアルバイトに精を出していた少年です。まともに進級できず、すべて追試で逃れてきたのでした。しかし、専門科目は主要五科目の3倍近くありレポートや実験はお手の物でグループに分かれての弱電、強電の実験では常に私のグループはトップで早々に終了し、レポートも素早く書き上げ記録データの改ざんもなく合格点を得る事が出来たのでした。

 大体、この実験や組立は時間割で最後のコマに持ってこられて3時間連続が多いので早く終わると帰宅できる大きなメリットがあるため、グループメンバー構成には友達のグループ単位でくじ引きで呼ばれる人気者でした。何と言っても早く帰れるメリットは大きかったです。一度帰宅してからアルバイトへ向かう時間までの空いた時間、池袋に立ち寄って遊べる時間が出来るためとても楽しい時間でもありました。

 先生も毎年、追試の私ですが専門科目だけは誰にも負けない実力を買ってくれ留年はなく、アルバイトと共に高校生活を楽しんでいました。

 そして初めて迎える冬休みは、年末年始ともにフルタイムで働くことにしていました。朝は9時から夜9時迄の本当にフルタイムの予定です。この頃には仲間も増え、同級生が1人2人と増えて行き高校生だけの管理グループが出来るほどに増員されました。9月から始めて4ヶ月目ですが、今度は仲間に教える立場で一緒に働いています。

 しかし、教えると言っても知れてます。何よりビル管理の仕事の広さにびっくりしたのもこの頃でした。私は、清掃管理が主でしたが同じアルバイトでも仕事の内容にものすごく違いがあること発見したのもこの頃でした。学校へいっている間は時間的に顔を合わすことがなかった人たちとも冬休みに入り、朝から入っているので色々な人たちと一緒に働く事が出来るようになり、そして何より仕事の範囲を広げられる大きなチャンスでもありました。

 とにかく疲れなんて感じず、毎日が楽しいのです。大人の世界を少しづつわかり始めた頃で、色々な人たちとの関わりの始まりでもありました。特にこの頃、学生運動が盛ん時期であり後で判った事でしたが、日中の時間で一緒になった人たちの何人かはその関係の人たちでした。だが私たちには一切そんなそぶりは見せないで仕事も、色々な範囲を付きっきりで丁寧に教えてくれたのは嬉しかったです。

 昼の休憩時、当番でご飯を炊きおかずも皆でお金を出し合いワイワイおしゃべりしながら事務所で食べるが何よりの楽しみでした。学生運動をしていた人が確か6人ぐらいいて、詳しくは分からないのですが食事が終わった後よく討論のような形で、けんかではないのですが互いに熱くなりけんか腰になってしまった事もありあました。

 そんなときも休憩時間が終わる頃、私含め他の人たちに迷惑を掛けてしまったことをきちんとお詫びして午後の仕事に移っていったのを思いだします。熱くなっているときは、見たこともないような厳つい表情で目が血走った形相で近寄りにくいのですが、仕事では皆本当に丁寧にどうやったら早く綺麗に出来るか等々手本を見せて教えてくれました。

 ちょっと怖かった「ハクさんと呼んでいた」人は床に特殊なワックスを塗ることが出来る技術を持った人で、このワックスというのが床に透明なプラスチックを貼り付けたように見える特殊なワックス塗料を塗るのですが、乾かしては再度塗りを繰り返すこと6回位繰り返して初めて完成となる作業なので、その依頼はビル全体(10階建て)で年に数回しか回ってこない特殊な仕事でした。

 年明けの日曜日に予定あるから一緒にやろうと誘われ、丁寧に教えていただきました。その後、その床の仕上がりを見た別のフロアーの会社から依頼があり再度、作業をする予定が入ると今度はおまえが主でやれと言われやり遂げました。そして、これをきっかけに今度からは、おまえが後輩に教えろと命令され「ハクさん」は監督役で私は4回くらいで免許皆伝となりました。1日がかりの特殊な仕事を仰せつかり、監督役でそばについていても自分は無給で指導してくれた。

 日曜日の日中なのに「ハクさん」は何の前触れもなく顔を見かけなくなってしまいました。数週間が過ぎて一度も見ないままでしたので、管理会社の課長に訪ねたら訳あって辞めたとのことでした。その後、他の人から「逮捕」の言葉が聞こえたのでした。何でも学生運動に関わると言う事までしか私には分かりませんでした。

 一生懸命自分の技術を残して置きたいが為にハクさんは無給で指導し、私に託してくれたのかもしません。そして私は高校生でしたが何とかなると見極めたのか、ハクさんは自分の方向を進むべくして行ってしまったのかと後に少し自分なりに理解したのでした。このことは、社会人となり業務における「共働」「共育」「共学」などを教える新人育成などの教育指導に大きく生かす事が出来たのです。

 もう一人印象深い「イケさん」と呼んでいた「エレベーター清掃専門」の仕事をしていたアルバイトの先輩で、学生運動の闘士と呼ばれてい方のお話です。イケさんは料理上手で日曜日のお昼ご飯は、すべてイケさんが中心で調整されました。東京駅にある大○デパート地下の食品売り場へ、一緒に良く買い物へ連れて行かれました。

 惣菜売り場で適当に買っているように見えるのですが「何処の何は買いだ」と、頭の中に食のデータベースがあり今日はこれとこれにしようと買ってきます。私は荷物持ちです。そして買った物を持ち帰るとご飯が炊けているので、食事の支度を始めてると言っても大きな皿に盛り付けて、各自の食器でご飯と味噌汁をよそって食べるのですが、これが本当に美味しいのです。

 いつも賑やかにワイワイ楽しい時間が過ぎています。と、ここで時間で働いているアルバイトがこんなことして大丈夫と思うでしょう。そうなのです。なんと「タイムレコーダー」や「タイムカード」もありません。なんと当時は「出勤簿」で管理されていました。それと会社の方針で管理長(課長)がすべてチェックし、やり残しがなく綺麗差の水準が保たれていれば完了のシステムでした。

 だから働きがいがり、むしろとことん綺麗にしようとなるのでした。このシステムは「警備室」やビルを使用している色々な「事業所」等から管理会社へ色々な形で評価が来る仕組になっていたので、良いも悪いも何らかの形で答えが返っているのでした。

 話を戻して「エレベーター清掃専門 イケさん」は本当にエレベーターのみを仕事にしていました。エレベーターは確か5台くらいあったと記憶しています。端から見ると一見楽そうに見えるのですが、私もそう思ってました。そのことを見透かされ「楽だと思っているだろう」と言われたことがありました。

 決まったところだけだから簡単だ感じていました。ある日、新人が多く人があまり気味だったのでイケさんの仕事を手伝うことになりました。同じ仕事道具で始めると、あに図らんやで全然汚れが落ちない。ステンレスのヘアーラインの壁は磨けど指紋が落ちず、洗剤を濃いめにしてこすると、今度は色むらが出て返って汚い。

 から拭きすれば落ちるだろうとこするも状況変わらずで、労力と成果は全くバランスがとれない。そんなことを見据えてか、イケさんがやってきました。どうした日が暮れちゃうぞ!! 全く進んでいないじゃねえか。返答のしようがありません。「やってみないとわかない事って多いんだよ」。それと傍目で見て判断しちゃダメだぞ。

 そう言って、私がやっていたところをいとも簡単に笑いながら綺麗にしていきます。どうやっても綺麗にならないステンレスがピカピカです。こうやって綺麗にしておくと、普段の会社の人もベタベタと触らなくなるから汚れないだよって言ってくれました。

 たかがビル掃除のアルバイトと、心のどこかに思っていた自分がいることに気づかされるのでした。

 このビル清掃のアルバイトは、人と出会いや経験は社会に出てから私の人生で本当に大きな影響を及ぼすこととなったのでした。

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