真冬でも上半身裸、半ズボンで笑顔の偉人「及川裸観さん」。誰が見ても不思議なおじさんだった。


 昭和30年初頭私が通っていた小学校は、何故か越境入学で兄弟全員が家のすぐ近くにある小学校ではなく子供の足で15分もかかる「第一日暮里小学校」へ通っていました。しかし、このことがこの題材となっている「及川裸観」さんとの巡り合わせでもあるのです。この小学校は今の「西日暮里駅」の脇にある坂道を上野方向へかって急な坂道を登り切った所を少し進んで今度は崖下に降りたところにあります。

 「及川裸観」さんのいる場所は、崖の上の道を諏訪神社を通り過ぎた所に「ニコニコ会館※道場」として自宅を兼ねた所にお住まいでした。故に小学校とはご近所同士の位置関係もあり。朝の朝礼によく現れて面白、おかしい色々な話を聞かせてくれました。そして話が終わると、今度は裸観さんオリジナルの体操が始まります。裸観さんは人気者で学校全体に響き渡るくらい全員が一緒に笑顔で大笑いしていました。

 特に冬場の時期はよく訪れていたような記憶があります。何しろ位置関係で裸観さんは「崖上」、小学校は「崖下」の関係のご近所だったので、学校の授業が終了した放課後、校庭で遊んでいると、なんの予告もなく訪れ一緒に遊んでくれたりもしていただきました。どんな時も裸観さんの格好は上半身裸に半ズボンの替わらぬ姿でした。

 今の時代と違いますので当時(60年前)の「謎」を書きますが、あまり詮索はしないで読み飛ばしてください。

 私の父親が裸観さんの事でよく話していたのが、裸観さんは全国何処へ行くにも「タダ※無料」で電車や汽車へ乗れると言っていました。今は死語の「顔パス」です。私はこの事実を目の当たりにする機会がありました。それは小学校の遠足で「日暮里駅」から電車に乗るため駅前で集合しているときに、たまたま裸観さんが現れたのでした。引率の先生と少し会話したあと、私たちに「行ってらっしゃい」と手を振りながら改札へ、そして皆が見ている中「ワッハッハ ワッハッハ」と笑いながら手を上げて「ご苦労様」と挨拶し改札を通り過ぎて駅の中へ消えていきました。

 大勢の生徒が目撃した其の光景は、父親から聞いていたそのままで「事実」だったのです。切符も買っていないまま「顔パス」で入っていく姿は、子供(小学校4年?)ながらにも「すごいな!!」と感じ驚いたのを覚えています。しかし当時「ニコニコ会館※道場」が何をしているのかは、大人になるまで正直判りませんでした。自身が働くようになり裸観さんが進めていた「運動」の意味深い事に改めてそのすごさに驚いたのでした。

※真冬の北海道、流氷がの割れ目で寒中水泳したり上半身裸、半ズボンのいつもの姿で雪の中をいつものように「ワッハッハ ワッハッハ」と道行く人たちに満面の笑顔で挨拶をする姿が、テレビのニュースでも紹介されていました。

追記

 及川裸観(おいかわ らかん、本名清 1901年12月 – 1988年11月22日)は、「笑いは健康の泉」との信念で全国行脚し健康普及活動を行った日本の人物。

 健康普及会を組織して、東京都荒川区日暮里に「ニコニコ会館」を開設。ニコニコ裸運動を提唱した。「全身を顔にせよ」と、上半身は裸、半ズボン姿で「薄着は健康のもと」と書かれたのぼりを持ち、たすきがけをして「ワハハ、ワハハ」と笑いながら日本全国を行脚。健康体操の指導、健康相談に一生を捧げた。「羅漢さん」の愛称でも知られた。

出典:ウィキペディア

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