昭和30年代町内の子供は遊びが主流、なぜか「そろばん塾」へは多くの子供が通っていた。
昭和30年代私の住んでいた町内の子供は遊びが主流で、お金を掛けない遊びがたくさんあり、遊ぶことに事欠かない状況でしたがなぜか「そろばん塾」へは多くの子供が通っていた不思議な流行がありました。
子供の頃は本当に色々な遊びを、兄弟や先輩から伝授され一緒に表で遊びました。今のように自動車等も少なく、路地裏の道はどこでも子供にとっては全て遊び場です。
道路の舗装自体も行き渡ってはなく、土がむき出しの路地がたくさんあるので転んだりしても大きな怪我はしませんでした。遊びの種類を並べるとお金を掛けない石蹴り、釘刺し、馬跳び、駆逐水雷、野球、缶蹴り、S字けんけん、縄跳び、流行の何々ごっこ、等々たくさんありました。
こんな状況の時代ですから勉強をきちんとしている子供は、私の住んでいた町内で常に遊ぶことを優先していた遊び仲間、10人に1人くらいで少なかったです。そんなのんきな子供の多い町内ですが、なぜかそろばん塾へはほとんどの仲間が通っていました。
だから行動が常に一緒なのです。そろばん塾に行っても顔を合わせる事が多く、そろばんの勉強をやっていても、悪ふざけして怒られる。しかし、しばらくすると自然と勉強の差がでて、そろばん塾へ通う時間帯に差が生じてくる。
何級と競い合うようになって来る頃から、昇級がうまく出来ずにいると脱落者も出始めましたが結構、残留組も多くそれなりの級を取る仲間が増えた時でもありました。色々な科目へ取り組む姿は真剣そのもの、普段遊んでいるときは絶対に見せない。しかし、答え合わせが始まると普段の顔に戻り互いの戦果を見せ合いしたりします。
毎回、色々な形で行われる問題に正解すると色の付いたカードがもらえる。そして獲得したカードを、帰りがけにそろばん塾の先生へ枚数を報告しカードを返却する仕組で、規定の枚数まで貯まると昇級試験を受ける事ができるようになります。
各子供の親たちは、読み書き、そろばんの言葉そのままに当時「そろばん塾」にだけは通わせたのだと思います。遊びに夢中の仲間たち、そして他の町内の遊び仲間も含め子供の社交場でもあった。
そろばん塾は別な意味で楽しい時間を過ごせた思い出の場所になりました。