ひとりごと 右利き、左利き、左右両使いを「クロスドミナンス」と名前が付いていることを73歳にして知った私!?

 こちらのページへもし来ていましたらこの先は私の自分史のような話になりますことをあらかじめご了承ください。冒頭ですが私の「クロスドミナンス」と思われる過去の特徴を抜粋、付記しておきます。

・勉強 : 出来ません。しかし、専門的な科目は人一倍意欲的に修得できます。
・運動 : 体力的なものより、精神的な力を必要とする物に対して大きな力を発揮することが出来ます。
・思考 : 混沌とした断片的な情報をむ結びつけ、多元的かつ深く柔軟な思考能力があります。
・創造 : 意図的に自分の世界観を見いだし、新しい事柄を創造する力があります。
・適正 : 色々な環境の変化に対して状況を分析し適応する能力は高い傾向にあります。
・性向 : 義理、人情を重んじる超硬派です。良いか、悪いかの二択思考ですがその判断を導くまでの思考の深さを多元的に考えることができます。

 人は生まれついたころから個人の特性と言いますか手足共に利き手、利き足のように自然と違和感なく卯が貸すことが出来るようになっていると思います。統計や確率的にも「右利き、「左利き」で分けると「右利き」の人が圧倒的に多いと思います。この比率は世界中の人口を対象として「右利き90%」、「左利き10%」、日本を対象とすると「右利き88.5%」、「左利き9.5%」、「両利き2.1%」の比率になっているそうです。(ネット情報より)

 生まれ育った荒川区日暮里町で幼少期から「左利き」だった私です。しかし小学校に入学したとたん学校では「左利き」ではなく他の人に迷惑(箸が隣の人とぶつかる)になるから「右利き」で通すことを両親から厳しく言われ6年間を右利きとして通しました。

 当時3クラスあった学年で何故か「左利き」は一人もいなかったこともあり、今考えると当時の子供には解らない何か思想的な文化が残っていたのかも知れません。子供の私には、学校での行動が苦痛でした。給食の時も右に箸を持ち食べなければなりません。そして体育の授業のボール遊びでも、苦手な右手で投げたりしなければならずうまく投げることが出来ません。

 ハサミをつかう家庭課や美術でもうまく使うことが出来ないため子供ながら本当に辛かったです。73歳になった今、このように過去を振り返り整理して自分を新たに見つめ、今現在生計を立て生活できいることはこの当時の経験が生かされていると思っています。

 ここで書いているように色々調べていて先の小学校の時の状況で、両親から本当に厳しく「左利き」は学校で見せてはだめだ言われたことが今の自分の特性や思考に繋がったことです。そして今の自分を形成してくれた両親に改めて感謝です。

 小学校の3年生の時授業中「おまえは家に帰れ」と突然告げられた記憶は未だに消えうることのない心の傷として残っています。現代社会ではあり得ない事です。当時のこの状況では騒いでいるでもなくおとなしくしていたのですが「自分の世界」に入ってしまっていたのかも知れません。それが気に入らなかったのかも知れません。

 当時、越境入学で我が家の兄弟すべてが家から遠い小学校へ通ってました。昼前ですが本当に一人でとぼとぼと家に向かって帰りました。突然帰ってきた私に母親はびっくりし、どうしてなのかを私に尋ねました。「帰れ」と言われたと告げると、すぐに学校へ向かって行きました。

 母親は夕方まで戻らず、今度は家中が大騒ぎになり父親は仕事を中断し学校へ電話をかけたら帰宅しているのでしばらく待ってくださいと言われたようでした。そんなこんなで母親が戻ってきました。事の顛末を父親に告げると、今度は私にどうなったかを優しく教えてくれました。

 何でも先生に会ってもらちがあかずで、PTAの会長の家に行き事の顛末を告げたら学校の近くですぐに学校に来れる保護者を集めて臨時の会合が開かれ、校長先生と当事者の担任の先生から事情を聞く形の会合が開かれ「行き過ぎた行為」として謝罪と対策を求める形で収まったようです。

 そうなのです「自分の世界に入ってしまう」このことは、普段でもよく起きていた事でした。集中すると感覚遮断で周りが見えない、聞こえない。これは自分自身でもなんとなく気になってはいました。しかし普段の勉強には全く無頓着でどうにもなりませんでした。

 興味を持った所だけに能力と言うか、集中して没頭できる。これが当時の私の能力でした。故に興味が湧かないものには見向きもしない。だから「理科」を除く学習はすべてダメでした。理科は、人一倍知識があり学校の勉強は個人的にほぼ終わり中学後半位の知識は身についていました。

 ここでも理科の実験や実習では勝手に進めて完了していまい。ここでも勝手に進めてしまっていることで怒られる。美術で彫刻を学年で作品作りした時は、小学校部門の大会へ出品する代表に私の作品と他の組の1点の2点のどちらかかの選択に選ばれたのですが、私のはリアルすぎて力が無いとの理由で却下されました。

 結果が学校に届き朝礼の時、選択した作品が落選したとの報告を聞きました。そして担当した先生曰く「おまえの作品」を選ぶべきだったと告げられました。リアルさと力強さで力を選択し落選、一生懸命に神経を集中させリアルさを目指し彫り上げた私の作品は選ばれずでした。

※「クロスドミナンス」は、芸術的才能にも影響を与えると考えられています。例えば、クロスドミナンスを持つ人は、両方の脳半球をバランスよく使うことができるため、空間認識能力やイメージング能力を高める可能性があると考えられています。また、クロスドミナンスを持つ人は、複数の視点から物事を見ることができるため、創造性や独創性に優れている可能性があると考えられています。

 ゴツゴツのした荒削りの作品を選択した美術担当の先生の選択はどうだったかなと小学校5年の子供ながらに考えました。ここで子供ながらの疑問、なぜわざわざ放課後に職員室艶に呼び出され後悔したような言葉を告げたのか疑問でした。

 色々な状況で起きた事は当時の先生の指導方針だったのでしょう。このようなことも「クロスドミナンス」の特質の中であるようです。やっと本題「クロスドミナンス」の言葉になりました。下記に「クロスドミナンス」の簡単な解説を付記しておきます。

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●ネット情報
※クロスドミナンス(cross-dominance)とは、用途によって使い勝手のいい手が違うことを指します。日本語では「交差利き」「分け利き」などと呼ばれることがありますが、定着しておらず、英語でそのまま呼ばれることが多いです。
 クロスドミナンスの例としては、ハサミは左手、箸は右手などがあります。クロスドミナンスと両利きの違いは、両利きは右手と左手の両方を同じように使うことができる人のことを指すのに対し、クロスドミナンスは、行動によって右手と左手の役割が明確に違うことです。

 クロスドミナンスになる理由としては、「左利きだったが矯正されて右利き要素が混ざったこと」や「周りの環境の影響でいつの間にか混ざった」などが考えられます。

 両利きになると、ビジネス面において、左右脳の交信が活発になり、ビジネスの現場において「意志決定」や「決断」が早くなります。特に右利きの人は右脳の活性化が期待でき、「ひらめき」や「アイデア」が出やすくなると言われています。
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 子供から青年になりつつ、自身でも自分の特質をなんとなく気づき生かしていこうと考え出して行くのでした。「少し大人の昭和40年代」でもアルバイトや当時の顛末を書いていますが、好きな事柄に集中し覚えることができることで良い結果が生まれる確率が高くなることに気がつくのでした。

 中学からは「電子工作」、そして行く気のなかった電気、電子を学ぶ高校へ進学、難しい理論式や電子回路の設計に必要な公式、どうにも苦手な世界でした。しかし、実験や自分で回路を設計し組み立てることは誰にも負けない。不思議な力を発揮していました。

 高校の時その中でも「応用工学」という科目があったのですが、これは先生と意気投合で本当に楽しい勉強の時間でした。このように主要な普段の勉強はダメだけど、気になる勉強は自然と頭に入ってくる。これが勉強の出来ない自分の特質だと気がつき、アルバイト(ビル清掃)でもいかに早く、効率的にそして何より綺麗に出来るようにするためのプロセスを見つけ出し実行することが楽しくてしようが無い超硬派の青年へと変わって行ったのです。

 社会人となり会社(電子計算機の入出力機器)の機器類(A1版サイズ 約30機種 信号処理回路の基本はほぼ同等だった)の回路図は1年でほぼ暗記しました。このことがきっかけで所属していた部署では「チームリーダー」へ抜擢され、兼任で特殊な当時(1969年)で「漢字データ」を処理する機器を扱っている部署へ配属されました。全国で10名位で東京で5名しかいない特殊な部署でした。(現代の脳科学でクロスドミナンスの特徴としてある部分で、記憶の能力が発揮されるこもあると書かれていました。)

 この時感じた事、学力ではなく実力を身につけることだと実感したのでした。当時もらえた給料も同年に比べたら破格に高い給料を頂いていまいした。しかし、家庭の事情で3年で会社は退職し短い修行を経て1年後、180度違う職業へ独立し「ピザハウス」を開業することとなりました。

 えっ、と思われるでしょうが本当です。修行は3ヶ月、しかし充実した3ヶ月でした。「給料はいらないので仕事をさせてください」と言って、働かさせて頂いたお店です。完成品は「チャツネ※調味料」位でピザの生地からソース、朝方はモーニングでホットケーキを提供していてこれも全部手作り、ここへ馬鹿な売り込みで入店させてもらいました。

 おかしなやつが入ってきたと、始めは本当に相手にされませんでした。朝は6時から夜は23時までぶっ通しで調理場で邪魔にならないように下働きをしていました。そんなこんなで1週間が過ぎた頃、チーフから「キャベツ」の千切りを切れと言われたのが始まりでした。包丁を持って料理は家でも作っていましたが、本格的な千切りなど切ったことなど無いのですからすぐに手を切る。

 当たり前のように当てている手の指先第二関節の骨から削る大けがになりました。チーフからの言葉は「塩でも塗り込んでおけ」でした。痛さとこの言葉にめげそうなっていましたが、自分の手ぬぐいの端を切り裂き即席の包帯を作り血止めして作業は続けまし。後にチーフ曰く諦めて帰ると思ったと言っていました。

 このことをきっかけにチーフは色々なことを教えてくれるようになりました。そして口癖のように仕事中「メモ書きはするな頭で記憶しろ」です。家に帰ってから自分でノートを作り、そこへ今日習ったことを書き留めておけです。そんなこんなで1ヶ月が経ち、夜、大人数の予約が入っていて全員で対応し片付けもあるので帰れないなと思い店に泊まる覚悟で片付けを終わらせました。

 やれやれと思ってホールの椅子で寝ようとしていたら、チーフから「俺んちに来い」と言われついて行くことに。途中で「飯食っていこう」と遅くまでやっている中華屋さんに連れてってくれご馳走してくれました。チーフの家に行き色々なお話をしながら、私は早番なので仮眠しました。朝方すぐに店に向かうため静かに準備をしていました。

 するとチーフも付いてきてくれて「昨日の後でおまえ一人じゃ大変だろう」と言って手伝ってくれることになりました。そして店の鍵を開けようとしたら鍵が開いている。鍵の掛け忘れ?? 冷や汗です。しかしチーフと一緒に出て間違いなく鍵は掛けていた。では何故にと恐る恐る店のドアを開けて入ると照明も付いている。

 何とオーナまでが開店準備でホールの雑務をしていたのでした。昨日、スタッフ総出でやっていたから大変だから少しでも準備してあげれば手助けになるだろうと店のソファーで寝ていたとのことでした。そして早番のアルバイトさん達が訪れあっという間に開店となりました。オーナーとチーフは少しの間、店でコーヒーを飲み帰って行きました。

 何と皆優しいのだろうと感じた瞬間でした。一生懸命に行動することは人に伝わり良い結果を生み出す。そしてこのことにより、私の技能は短時間で出来なかったこと、記憶できなかったことが嘘のように解決していったのでした。朝のモーニングでホットケーキを出しているのですが、ミックス粉(インスタント)ではなく、これもすべてすべて配合して作ります。

 嬉しいのは私の焼いているホットケーキのファンが増えて言ったことでした。3ヶ月の修行で退店し、今度は自分の店の開店準備です。コンピュータの管理技術をやっていた私が退職し、1年後の22歳で3ヶ月の修行で「ピザハウス」独立は誰が考えてもあり得ないでしょう。この思い切った行動も「クロスドミナンス」の影響だと思います。

 そして開店の日の夜に車2台でオーナー、チーフ、スタッフ、アルバイトさん達がお祝いに来てくれた来てくれました。
何と、店を早じまいし来てくれたことに驚きました。ちなみに「給料はいらないので仕事をさせてください」と言って入店させてもらいましたが、最後の日には働いた分の給料を全額いただけました。
(ピザハウスは10年間の営業で閉店し新たな展開へ)

 この10年間は店を営業しながらも色々な事へチャレンジしそれなりの結果をもたらした時でもありました。趣味で18歳から始めていた射撃でした。朝霞の自衛隊基地の射撃場を日本ライフル射撃協会が日曜だけ利用できるように借りている射場で東京都の大会で4位になることが出来ました。

 全く知識無しから友達から「囲碁」を教えてもらい、その面白さにはまり3年にして荒川区の大会で5位に入賞出来ました。射撃含め多様な集中力、これも今考えると「クロスドミナンス」の特性でもある右脳、左脳の思考能力の交差がうまく働き短期間でそこそこの能力を得る事が出来たことだと思います。

 自身の店を閉店し新たな道へ進むべく新たな展開で「ファストフード」の勉強をするためまたも「無給で仕事を覚えさせてください」とその会社の面接に行きました。そしてそのまま15年間在籍し、ここでも色々な功績として作業プロセスの改善、経営改善、運営改善、アルバイト育成法、等々を実務で作ってきました。

 表彰や業界紙にも掲載されるなどそれなりの成果を見いだし具現化してきました。そんな時、ニュースで「インターネット」の情報を知ることで、これからはこの世界だと、またも方向転換で退職しました。多少は個人的には目立つ存在でも有、他からお誘いもありましたが「ひとりぼっちの船出」を選び今の形になっていくのでした。

※「クロスドミナンス」の特質の一つして記載されている内容: ビジネス面において、左右脳の交信が活発になり、ビジネスの現場において「意志決定」や「決断」が早くなります。特に右利きの人は右脳の活性化が期待でき、「ひらめき」や「アイデア」が出やすくなると言われています。

 安泰を望まず常に何か新しい物を探す「探究心」が強く、よくある現状を維持することが出来ないのも私の持っている「性向」かも知れません。
 退職後はひとりぼっちです。そもそも独立し「インターネット」で何をするかも決まっていないままの退職です。本当に単なる馬鹿でした。

 1995年インターネットに関わる情報もほとんどなく、私の直感的なひらめきだけで大海へ出てしまったのですからひどかったです。とりあえず「ホームページ」を作ってみようと作ったのがこのホームページの原型でした。そしてとりあえず「ホームページ制作」を看板にして見ようと考えました。この辺のマーケティングの考え方は前職で散々ゃって来ましたのでお手の物でした。

 DM(ダイレクトメール)を作り、絞り込んだ地域と業界へピンスポットで発送しました。費用をそんなに掛けられないので、すべて手作りで少量の送付でした。そしてすぐに反応があり、初めての打診先となる会社へ出向くことになりました。その会社の社長は先進的な考えの方で、嘘のような結果ですが伺った当日に発注をいただけました。

 受注後、色々な打ち合わせの末に完成し公開となりました。その会社の広告や名刺、看板にホームページのアドレスが記載されました。社長が気に入ってくれてその後、新たに色々な業種の方達を紹介いただけたことは嬉しかったことと一生懸命に対応することは新たな成果を見いだすことの確信を得たときでもありました。

 2000年、そして新たな出会いにより活動拠点が一気に変わり千葉から東京へ移りました。こちらでは現業をそのまま持ち込む形でネット事業部の一員として活動する事になりました。この転換は、私の今を作り上げた本当に大きな事象となっています。

 始めに手がけたことは商店街に入れなまま、点在している立地で商売をされている方達をインターネットを介して「電子商店街」を作ることでした。このころネット通販「楽○」しかありませんでしたが、入会金や維持費、マージン等々、個人商店では敷居が高すぎてとても参加出来ません。

 そこで行政から助成してもらい母体となるホームページを立ち上げ、加盟を希望する商店は個々でホームページを立ち上げ、それをまとめてネットワークにすることにより「電子商店街」として機能させることで機能するモデルを作りました。(後に正式な商店街として認可)

 この噂はあっという間に広がり、新聞、雑誌でも取り上げられ私は恥ずかしながら写真入りで結構大きく掲載されました。また、この活動は地方からの公演の依頼などがあったり、遠方から事務所や実際の活動状況などを見学させてもらいたいなど依頼もあったりで大成功を収めました。

 このことがきっかけで加盟希望の参加者の方や、色々な仕事としてのご依頼を受けるようになりました。現在、現業として運営している会社の始まりとなったのでした。この後は、無理なく出来る事であればすべて引き受ける形で、本当に寝る間も惜しむような形で孤軍奮闘していました。若い頃の夢で「好きなことで追われる仕事をしたい」が本当に実現できたのです。

 過去を振り返ると自身でははっきりとした理由も解らず、「クロスドミナンス」の特性をそのままに自然と対応出来ていたことです。体験もなく知識も無いままの領域の仕事の相談が入ってきます。しかし、不思議と打ち合わせや情報収集をしている時に、頭の中には色々な繋がりや問題点、改善策、そして実務計画を書き起こすことが出来るようになるのです。

 後日、計画書をお客様に提示し破棄か契約実行の採否になるわけですが、ほぼ90%の確立でご依頼に繋がりました。この辺からホームページの制作は業務の一部になりつつありました。システムコンサルタントとしての業務改革、組織改革、等々、「何か計画があったらあの会社へ聞いてみろ」が本当になっていったのでした。

 行政、民間会社、個人商店、本当に広い範囲から仕事として依頼をいただける会社へと進んでいったのです。もし私同様「クロドミナンス」なのかと思われている方は、意識的に「両使い」を実施して見てください。きっと思考バランスに変化が訪れ新たな自分を見いだすことが出来るかも知れません。

 好きな言葉「やってみなけりゃわからない」です。45歳からの「たった一人、大海への船出」は何とか沈没はせず海原にまだ漂っています。駄文で長文ながら最後までお読みいただけましたこと感謝申しあげます。

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