定斎屋(じょさいや)※薬売り
「定斎屋」この名前から何の商売かは連想できない名称ですね。それも夏場だけの薬売りです。昭和30年初頭には消えてしまった懐かしの薬屋。昔は音で何屋が来たかわかる時代、定斎屋はそれと分かる、特に独特の音がありました。
いでたちは半纏と黒のパッチ(肌にぴたっと合った股引のようなもの)を身に付け地下足袋です。天秤棒を肩に掛け、両端に小ぶりの箪笥(タンス)のような引き出しがたくさん付いたものを取り付け、肩で担いでリズムを取りながら歩いてきました。
このとき引出しの取っ手(鐶⇒カン)のところが揺れ、鈍いダン、ダンと歩いてくるリズムに合わせ、音が出ていますのですぐにそれと判るわけです。
この小さな箪笥のような所にある、取っ手の付いた小ぶりの引出のような中に商材となる「薬」が入っています。子どもながらにも相当重いのではと感じていました。
薬屋と言っても漢方薬のようなもので、食あたりや食欲増進に効く薬を専門に販売していたようで、忘れた頃に来る「定斎屋」からは私の家では購入することはありませんでした。
私の住んでいた町内でも一時期は来ていましたが、購入している人は見たこともなくある時期からは全く見かけなくなってしまいました。この時代には皆さんご存知の、富山の薬売りが出てきましたので私の住んでいた下町にも、ある時期から定斎屋は来なくなってしまいました。参考資料でも確認したのですが夏だけの販売しかしないようで、他の時期には確かに見たことがなかったように思えます。
そのてん富山の薬売りは、毎月御用聞きに来るので常備薬として使った(開封)分だけの代金を支払う様式は大きかったです。もう一つ大きな要に「富山の薬売り」の商売の特徴に、子供の「おまけ」がありました。今で言うところのプレミアムグッズと言っても製薬会社の名前の入った紙風船、それも丸ではなくサイコロのような四角形の紙風船、買った額に応じて数が増える。
これが欲しくて必要のない物まで親に買わせた想い出があります。先の「定斎屋」は、子供の心を掴みそこね「富山の薬売り」に商いの方法で負けたのかもしれません。この当時の薬は薬局で購入するか、お医者さんに看てもらい、調剤薬をもらうしかありませんでした。
私の、住んでいた家の前がお医者さんでした。故に、病気に関してはあまり不安を感じていなかったので、何かあればすぐに看てもらえる安心感からかも知れません。今のように専門的に診療の対象も細かくなく、言ってしまえば何でも看てもらえるような感じでした。そんなとき営業に見えたのが「常備薬=救急箱」そして始めは無料で家に置いていってくれる。
子供ながらに興味本位で話を聞いていると、待ってましたとばかりに、子供に向けて商品名の入った紙風船をくれる。もらった私は大喜びです。そうなれば親は即契約になります。そしてこの噂は、町内へすぐ広がりあっという間に、子供たちの手には紙風船があるのでした。
家の前にあるのはお医者さん、それもよく遊んでくれた先生がいるのに・・・。だが、先生は「余計に薬の封を開けてはいけない」とだけ言って笑っていました。