50円のオーダーメイドの「野球バット」と30円のオーダーメイドの「卓球ラケット」

 タイトルを見て「?」がたくさん浮かんでいる事と思います。私の住んでいた荒川区日暮里町の家の周りには、色々な職業の町工場が混在していた頃のお話です。今もある会社で皆さんご存知のトンボ鉛筆、ハーモニカの工場も、家から子供の足で2分とかからない所にありました。

 子供ながらに色々な人づてでタイトルのごときオーダーメイドの、野球バットや卓球ラケットが、お小遣いを少し貯めれば自分の好みの形で作ってくれた本当の話です。職人さんが子供向けに作ってくれた、この会社は現在も大きなメーカーで活躍していますので、当時の職人さんの事を考慮し名前は伏せさせていただきます。

 野球バットの注文は夕方5時以降の時間で、6時前までと決められていましたので、この時間に合わせて工場の裏手の材料置き場へ出向き自分の好みの木材を探します。 気に入った色合いの木材を見つけ工場の中で片付けをしている職人さんのところへ持ってきた角材を渡します。そして大凡のバットの先の太さ、グリップの太さバットの先端の形状(角丸か芯を凹ませる)、そして長さを伝えると機械(ロクロ)にセットして成形が始まります。

 角材がたくさんの切りくずと共に丸くなって行くのを眺めていると途中で機械を止めて職人さんから「確認しろと」、声を掛けられます。そして、子供なりの目で見てグリップの感触を触って確かめ良いですと伝えると、今度は仕上に入り木の表面がツルツルになっていくのを見ることが出来ます。 但し、バットの芯の加工や塗装はしていません。しかし、無垢ですが磨きを掛けてもらったバットの表面はツルツルでなんともいえないマイバットに生まれ変わるのです。完成後に50円を支払うと自分の物になります。

 このバットの他に卓球ラケットを作っている町工場があり、こちらは、同級生の友達の家だったので遊びに行くと「30円で新しい形の物ができるから作ってあげるよ」と、友達のお父さんに声を掛けられます。当時、卓球のラケットの形は、角丸四角ペンラケットと言われる形状がほとんどの時代でした。この形のラケットは友達の家で作られていた不良品をもらっていたのですが、新しい形とは丸形のシェイクハンドと呼ばれる形の製造が始まったことを意味していたのです。

 始めて見る形に驚きと何やら貼り付けるラバーも最新の素材らしく、いわば試作のような形なので30円の手数料となっていたようです。但し、グリップは木材でゴツかった記憶があります。それでも近所の卓球場へ持って行くと、珍しがられ「貸して」の声が多く掛かかり即席の人気者になりました。昭和30年初頭、当時の下町は本当に家内工業がたくさんありました。しかし、町の変化で騒音、臭気等々で地方へ引越していってしまいました。

 他にもテニスボールを作っているところがあり、ゴミ置き場に不良品として捨てられているテニスボールがたくさん出ている。それを子供ながらに恐る恐る工場の人に、一つもらえませんかと代表を決めてお伺いをしにいくのです。すると工場から出てきて子供の人数分、良い物を選んでくれ、各人に1個づつくれるのでした。これも下町ならではの職人さんの子供への対応でした。

 こちらの話は玩具の製品で下町の子供たちに最も身近な「おもちゃ工場」で、ゼンマイ仕掛けで動く、世界的にも有名なおもちゃ工場が我が家から1分の所にありました。こちらは年に数回バザーが開催され、破格値により工場の倉庫で販売されるときがありこれも楽しみの一つでした。

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