昭和42年代 高校2年生のビル清掃のアルバイト、色々なことが沢山ありました。その中でも「給料紛失事件?」は大変でした。

 今年は自分のペースで早めにお客様周りを行い少し早い仕事納めにしました。しかしながら仕事納めと言っても、実際は3時頃に起きパソコンとにらめっこしながら作業を夕方まで続ける毎日です。若い頃によく言いふらしていた「仕事を趣味する」をそのまま数十年、有言実行で進めています。そんな事が当たり前ですので、私事と仕事ととの境がない生活を繰り返しています。

 少しずつ書きためている昭和40年代のお話をまとめようと考え、久しぶりに「少し大人の40年代」の出来事を御紹介いたします。高校2年生になっても学校が終わると、池袋で少し時間を潰し夕方6時からのアルバイトへ向かうのが日課でした。楽しくてしょうがなかったアルバイト生活、学生の気分は薄らいでいた超硬派な若き少年でした。正義感だけは人一番強く少し生意気な青年(一匹の子羊)でしたが、後ろ指を指されるようなことは絶対にしない。

※当時の学生服はオーダーメイドの応援団風?の制服でアルバイト先へもそのまま出向いていました。

 そんな血気盛んな少年に、降って沸いたとんでもない事件は突然起きました。時間通りに東京駅のアルバイト先のビルへ向かうと、守衛室の所に人相の悪い(私も人相悪い?)人達が数人立っている。そしてその脇に、守衛さんが2人とアルバイト先の管理会社の課長さんも一緒にいる。そこへ近づくと囲まれるように,一斉に近づき何が何だか分からないまま質問攻めになりました。

 当の本人は、何を言われているのか全く分かりません。そして少し質問が落ち着いてから、管理会社の課長が前日のアルバイトである事を告げ,前日の夜にその会社の清掃を担当していたこを告げました。次は、私にその事実の確認で私に返答を人相の悪い人が訪ねましたので「はい」とだけ答えると、今度はその清掃の状況を説明しろと命令するような言い方で訪ねてきました。

 肝心の事象は何も知らされず、やたらに命令するような質問のしかたに我慢できずついに「いい加減いしてください」とわめいてしまいました。すると課長が今日のアルバイトは有給にするから、おとなしく話を聞いて状況を説明して欲しいと告げられ、場所を替えでアルバイト先の清掃会社の管理事務所へ全員で移動することになりました。

 そこで初めて内容の説明があり「給料紛失=窃盗事件」とのことで当該の会社から朝、警察に社員の給料が盗まれたとの連絡があったそうで日中はその会社の状況を調べ、その状況というのが当時はまだ給料は「現金支給」がほとんどした。紛失した当事者のその時の説明を聞かされたのが、何でも会社から支給された給料を夕方会社から仲間と飲食に出かけるので鍵のかかっていない机の引出の中にしまって置いたとのことで、翌日、会社に出向いてその保管していた引出を開けたら無くなっていたと言うことで大騒ぎになった事が今なのだと言うことでした。

 ここでビル清掃の内容を少しお話しすると、基本的にはビル内の借り受けしている会社は6時迄には最後に退出する人が鍵を掛けて帰社することが決まりになっています。どうしても終わらない場合は、守衛室と清掃管理会社へ必ず連絡を入れ、場合によっては清掃をしないこともあるこもあるので連絡は重要な事です。

 この事件の状況から給料日な事もあり全員5時の時点で全員が退社するのを確認し最後に鍵を持った人が会社の入口に鍵を掛けて退社したとのことでした。そして肝心のアルバイトは時間になると、いくつかのグループに分かれ「鍵の束」を持って受け持ちのフロアーや場所へ分かれて清掃業務を行っていくのです。当時、私は高校1年から始めて1年半くらいでしたが仕事ぶりを認められ、そのビル全体のすべての鍵を持っていました。「何処でもドア」ならぬ、行けない場所はない!?

 頭は悪いが工業系ですから「いかに綺麗に手早く仕上げるか」そして「毎回汚れる箇所」への対処方等も対処方を考え、その他対処方の提案は管理会社に即採用され実行に移される。清掃業務の仕事に誇りを持った生意気な高校生でしたが、疑いを掛けられたことはショックでも有、小さな心にも傷が付きました。その当日は、結局、数時間夜遅くまでいわば「事情聴取」のような形になって、何か自分が容疑者のような扱いになっていたことを忘れません。

 あったものが突然無くなる、夜、終業した会社に入れるのはアルバイトと守衛以外はいませんから誰もがこの対象者を疑うのは当たり前でした。そして、さらに絞り込まれるのはアルバイトです。こんなプロセスがあったのでしょう。取り調べのような、嫌な時間が過ぎやっと帰宅したのですが怒りは収まりません。こんな自分ですから、始めに出た「守衛」さん達とも正直、あまり良い関係ではありませんでした。それは、何かに付けて仕事に言いがかりを付けて来るからでした。

 喧嘩こそしませんでしたが、そんなこともあり疑いが向けられたと思います。翌日、学校へ行ってもそのことが頭から離れず、悶々としながら今日はアルバイトへ行きたくないと・・・よぎるのでした。しかし、ここで休んだらそれこそ疑いはますます濃くなると思い通常通りに東京駅で下車しアルバイト先へ向かったのでした。

 このときの自身の心境は小学校低学年の時に起きた私の出来事、今の時代だったらとんでもないことになっていた事です。その時は話が飛びますが小学3年生の時の記憶がよみがえって来るのでした。それはお昼に近い頃突然、先生から「おまえは勉強しないから家へ帰れと」告げられたことでした。そして何も分からないまま1人でカバンを背負い込み自分の家に帰って行ったことでした。このことは当然大問題となり、母親はPTAの会長に連絡し午後から学校で臨時の集まりが起きた事を子供の私に告げられたことでした。このときも自分では何が何だか分からず素直に従うしかなかった私でした。今振り返れば自身の性格で「集中しすぎる=物思いにふける?=怠慢」が災いしていたのかも知れません。

※当時、理科の授業で「ベル」を作る工作がありました。工作は得意中の得意ですのであっという間にエナメル線を巻き付け「ベル」は完成、電池をつなぎ響き渡る「ベル」の音、すると褒められるのではなく「勝手に作るな」と怒られる。変な時代だった。

 話を戻し、何の疑いを掛けられることもないのに何なんだとの事が頭の中でモヤモヤをしながらアルバイト先のビルの裏側の守衛室へ向かうのでした。すると、またも入口の近くに人だかりが見えました。またか!?と、頭に昨日の事が浮かびます。それでも逃げる事は出来ないのでまっすぐに向かいます。近づくにつれ、そこにいいる人達の顔が見えます。しかしです。昨日とは全く違い、何故か「笑顔」なのです!?

 その時の情景は理解が出来ませんでした。人数は昨日よりも多かった。入口に付くと、少し偉そうな年配の人が突然、私に腰が折れ曲がりそうにな姿勢で「申し訳ありませんでした」との言葉と同時に、そこにいた全員が声を揃えるように同様に謝罪の言葉を唱えるのでした。昨日と同様、訳が分からず管理会社の課長も一緒にいて私は頭に「?マーク一杯」で棒立ちになっていました。

 その時は、細かな状況が分からず無言のままにアルバイト先の管理会社の事務所へ向かいました。そして作業服に着替え、今日の段取りを作っていると課長が戻ってきてそこで初めて内容を聞かされ理解できました。昨日の「給料紛失=窃盗事件」が解決したことを・・・。事務室の私たちアルバイトの机の上に大きな包み紙が2個置いてあり、気にはなってましたが、すると課長が謝罪を兼ねて当該の会社と守衛室から私にお詫びを兼ねて届けられた事を告げられました。

 その日はすぐに予定の箇所へ向かい作業終了後事務室に戻ってからその紙包みを開けると2個とも洋菓子だったので、皆のお茶菓子にちょうどいいので全部箱から出し、昼間の人達にも食べられるように箱を分けて置いて、その日はスッキリしないまま帰宅しました。しばらくしてから課長が事の顛末を教えてくれました。何でもこの事件の当事者の勘違いだったそうで、当初記憶としてあった自分の机の引出に保管したつもりが、実は自分のロッカーの中にある靴の箱の中にしまっていたそうで靴を履き替えるときに発見したとの事でした。

 この事件は、人間の本質や「事」が起きると人は良くも悪くも変わることを実際の事象で学んだのでした。仲の良くなかった「守衛」さん達もこの「事件」をきっかけに友好的になり、その後アルバイトは続き高校を卒業し就職先が銀座の会社だったのでその後も1年間の約束で継続、アルバイト先は一駅隣の東京駅だったので近いこともあり「トレーナー」として管理業務?の立場で続けました。この4年間のアルバイトは本当に色々なことがありましたが楽しかったです。

自分で働いてお金を得ること、人との関わりを学び心身共に覚えた少年?でした。

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