昭和46年 勤務先の近くに、日本初上陸のハンバーガーチェーン マク○ナル○1号店が銀座○越にオープンしました!!
今度は少し視点を変えて「食」にまつわる話題を書いてみようと思っています。この当時私は技術職であるのですが、仕事であちらこちらとまわっていて行く先々での昼の「食事」と時間調整で立ち寄る「喫茶店」が楽しみの一つでした。特に「食事」に関わる事柄は、後に自身の生き方を変える所までにも及ぶ大きな事柄でした。
子供の頃から「工作」と同時に「料理」も特技の対象で、とにかく何でも興味を持ち作るのが好きでした。知識と言っても今のようにグルメガイド等の情報はありませんので、頼りは自分で感じた目と料理の本が唯一の情報源でした。移動先で色々な店に入り美味しいと感じた食べ物も今のように記録するツールなどもなく、かといって手帳に記録などもせず自分の記憶だけが頼りです。
不思議な物で今になって文字にしているように完全な記憶ではありませんが、頭の中に残っている記憶としての情報は結構残っているので普段の仕事をしながらでも、フッと頭の中を情景がよみがえると愛用の記録ツールソフト「アウトライン プロセッサ」と呼ばれているソフトを使用しているパソコンに常時、起動した状態にあるのですぐに分類整理することが出来ます。
自身のブログで書き残しているデータは、ほぼすべてこの「アウトライン プロセッサ」で書きためています。余談になりますが、これは誰でも使えるフリーのソフトウエアで「NanaTerry」の名前で検索すると出てきます。初代から次世代へ開発が引き継がれ「機能豊富」でいながらフリーで使えて本当に便利です。私は宣伝するぐらいしか出来ませんが本当にお勧めです。
※アウトライン プロセッサ「NanaTerry」⇒ https://blog.goo.ne.jp/kennyterry
前振りが長くなり申し訳ありません。それでは本題の「マク○ナル○ 1号店」の話に進みましょう。この当時、私は通信機器保守管理(現在のデータ通信)の仕事をしていました。会社への帰路、いつも利用している地下鉄線銀座駅に到着、会社へ戻るには少し時間があるので地上へ出て「銀ぶら※死語ですね」しながら会社へ向かう途中の夕方です。
「銀座○越」の歩道の所に、車道へあふれんばかりの人だかりがしています。何かあったのかな? と、興味津々で近づくとすらりとしたアメリカンガールの美女が何人かカウボーイハットをかぶり派手なユニフォームを着て立って風船を配っていました。そして、その周りや、あちらこちらで何かを立って食べているのです。
建物の一角を見ると行列が出来ていて注文をしているようでした。外観から店舗である事が分かり少し上を見上げると、あの看板があったのです。しかしながら当時は、その存在は全く知りませんでしたので、只々物珍しさだけで始めは眺めていました。だが見ているだけではしょうがないので、この行列に並びました。
しかしです。行列に並びながら帰社時間を気にしつつも、どんどんとこの列は進み気にするまでもなくあっという間に自分の番になりました。驚いたのはメニューもしかりですが、提供までの調整、調理のスピードでした。当時のメニューは、オープンしたてと言うこともあり限られたメニューでしたが、熱々のハンバーガーとフライドポテト(マックフライ※当時)、フィレオフィッシュを買って帰社となりました。
会社へ戻り、就業時間が過ぎるまで会社の中では食べることが出来ないため自分の机の上に置いておいたのですが、皆さん感じた事があると思います。そうです、結構強烈な独特の匂いです。社内に漂う香り、腹も減る時間帯です。社内にはまだ100人近くの社員がいたのですが、匂いにつられて集まってきます。
さてどうしたものか? 事情を説明すると、野次馬のごとく少し食べさせての声が広まりポテト組、ハンバーグ組、フィレオフィッシュ組と切り刻まれ、私の口に入ったのはほんと味見程度でした。しかし、話題騒然で何処に出来たのかとなり、場所を教えると帰社時間になり、何人かの仲間に連れられ再度店舗に向かったのです。
夕方を過ぎ、さらに人は増えて大混雑の状態でしたが再度並んで注文することになりましたが、今度は先輩のおごりでしたので助かりました。そして皆で歩道に置いてあるテーブル代わりの「Thanks Box※ゴミ箱」を囲みじっくりと味わい歓談しながら食べました。この時間帯では、キャンペーンガールのアメリカンガールの美女もいませんでしたが新しい食文化の始まりになったのでした。
ハンバーガー自体は普段から、通勤で使っていた有楽町の駅の改札口の前のコーヒースタンドで出勤時毎朝コーヒーとセットで食べていました。このスタンドでは完成品のハンバーガーを電子レンジで加熱したものが普通でしたので、本物を味わった感覚は、本場のハンバーガーは違うなと本当に思いました。
あの形状のフライドポテトなども新感覚でしたし、フィレオフィッシュなどの魚をベースにしたさらりとしたフライも他では味わったことのなかった物でした。その後も立ち寄り食べたのは言うまでもありませんね。このフランチャイズの店舗展開や、調理技術等々非常に興味を持ち、後に私自身の生き方に転機をもたらしたのです。
技術職から離職し、レストラン経営、後にファミレスのメニュー開発調理長を経て某ドーナツ チェーンのスーパーバイザー、そして最終現職のシステムコンサルタントへと移りゆくのでした。
話は変わり、この「マク○ナル○1号店」の店舗のあった「銀座○越」ですが、家電売り場に友達がいて、よく立ち寄りビデオレコーダーが展示販売されたときはすぐに見に行きました。ちなみに当時のビデオレコーダー(β)販売価格「50万円」でした。先の「マク○ナル○」の「ハンバーガー80円、「フライドポテト70円」の価格でした。