ひとりごと 「賭博場」のお話、と、言っても合法的に開帳されている「カジノ」のお話です。日本人の女性ディラーとラスベガス、小さな掛け金でも大勢で楽しむゴールドコースト、大勝ちしたウオーカーヒルのお話です!!

 若い頃から「賭け事」は好きでした。しかし、競馬や競輪など自分の采配ができない類いはあまり興味が無く、あくまでも自身が関わり判断できない物には、賭け事でも手をださいない。「賭け事」と言う言葉を使うと怪しげな人物に見られてしまうかも知れません。賭け事の言葉を「勝負」に置き換えて見ますと、趣味の世界になるかも? 、で、「カジノ」のお話に入る前に結果を残してきた勝負の例を自慢話になりますが挙げてみます。

 身近な例では皆さんご存知の「囲碁」、今は「将棋」のほうが話題が多いようですが、私は将棋が苦手で友達から教わった「囲碁」にはまった20代の若い頃ですが、元々、勝負ごとが好きな性格故に、覚えるのは早かったです。武者修行?で、色々な地域の「碁会所」へ出向き他流試合を繰り返し、たまたま近所の有段者の人から、私の住んでいた荒川区で大会があるから参加してみないかと声を掛けられました。(参加申請ではその方の判断で初段で登録)

 この近所の人はその大会の開催役員をしている方で誘われるまま、怖いもん無しの「天狗」はその大会に出向き150人中で「5位」となりました。その時は、正式な認定級や段もなく申請時のそのままで朝9時から始めて午後3時迄、勝ち抜き戦で残った順位でした。

 これとは全く違うもっと若い10代では、ライフル射撃(エアーライフル部門 愛銃 ドイツ製 ファインベルグバウ)で東京都の大会で「4位」を獲得していました。これをきっかけに「大口径ライフル所持資格」、「携帯用銃器所持資格※拳銃」等々の資格を取りながらも、資格だけで銃器を購入できず資格は10年で消滅しました。理由は金額的に「買えなかった」のでした。狙っていたのは22口径の競技で使う「フリースタイル種目用」この当時の金額でフル装備にすると、昭和47年で120万円位です。(会社員給料 5万円位)

 こんな感じで個人の技術で戦うのが好きでした。当然「麻雀」も大好きでした。これも、自分の技術で戦う物で確立的な要素もあるので読みは複雑になりますが、色々な人とわいわい過ごせるのも楽しかった。このような感じで、自分の感覚と読みで勝負する。この感覚が本当に好きでたまりませんでした。だからと言ってのめり込むような事はなく今に至っております。

 長い長い前振りになってしまってしまいました。やっと本題のお話に入っていきます。まず始めにラスベガスで出会った、日本人の女性のディラーのお話を書かせていただきます。30年近く前のお話になりますが、仕事の関係で3日間、ラスベスで自由行動の時間を与えれたことがありました。(仕事と言っても、ほぼ観光!?)初めて降り立った「ラスベガス」の空港、各自、止まり先のホテルへ向かいます。

 私は下調べも情報もないままホテルで荷物の整理をし、3日間の自由行動をどう過ごせばよいか全く予定をしていません。良くある集団行動はしたくないので「一匹の子羊」は、とりあえずぶらりぶらりと表通りを歩きながら、カジノの雰囲気をとりあえず味わうことにしたのでした。

 色々な所のカジノで仕事仲間に会っても集団では行動しないようにし、各カジノごとで両替と各テーブルのレートを見ながら「レートが少額」で遊べるところを選んで楽しんでいました。この当時でも一般フロアーでカードゲームは高いレート(掛け金の額)のテーブルが有、その金額をみて驚くと共にここに座ってゲームを楽しんでいる人達は、普段どんな生活をしているのだろうかと余計なことを考えてしまう小心者でした。

 「寝る間も惜しむ」とはまさしくこのことでした。さまよい疲れて部屋に帰って仮眠しては又出向くの繰り返しです。たまに仕事仲間に会うと、戦況報告?で色々な情報交換をしました。2日目では、ほとんど仕事関連の仲間を見なくなっていました。その原因は「負け組」で資金が底をつき部屋にこもっているとの情報でした。当たり前ですね、賭け事ですから勝つか負けるかしかないのですから。

 肝心の私は、適度に「小銭」で資金がつきる事無く何とか遊べていました。2日目の深夜というより明け方に近い時間帯、お客さんの人影も少なくテーブルが閉まっていたりしました。ふとルーレットのテーブルを見たら小柄の女性が目に入り、近づくとどう見ても日本人にしか見えない。恐る恐る声を掛けて見ました。ビンゴで、日本人でした。このテーブルに着いているのは私だけですので、お話を聞かせていただいて良いですか? と、確認をとり了解を得た上で色々聞かせていただきました。

 名前は忘れてしまったのですが、何でも20代でラスベガスに来てから30年以上になるとのことで現役のディーラーを職業にしているとのことでした。誤解の無いように書きますが、ディラーの職業は人気商売のようで能力給に近い世界だとの事でした。すべて監視されているから、手は止ないでチップを必ず賭けてくださいと言われました。気にはなっていましたが、本当にあちらこちらとカメラがあり監視されていることがわかります。

 この職業に付いたときは、本当に厳しかったとお話しされていました。それは、日本人がディラーのテーブルは敬遠されお客さんが付かないことが多々あったそうで、技術を磨くことが生き残る手段だとお話ししてくれました。それで、掛け持ちで色々なカジノのテーブルで技術を磨いたそうです。カードさばき、ルーレットは玉を投げ入れるスタイル、話術、テーブルを盛り上げるパフォーマンスの様なショーアップできる技術を研究してきたそうです。

 この技術が生活に直接関わる本当の「勝負」の世界だと言われたことは身にしみました。私との出会いの時の時間帯は、明け方に近かった事も気になっていたのですが最後の方に、もうすぐ交代だからまた会える日を楽しみにと挨拶をしてその場を離れました。人気の少ないカジノを見るのも初めてで、部分的に照明を落としているところもあり「不夜城」にもこういう光景もあるのだなと感じたひとときでした。

 ルーレットのテーブルから離れ小銭で遊べる「スロットマシン」で遊んでいたら、突然鐘が鳴り出しランプが点滅、コインがじゃらじゃらと出てくる。本当の話ですよ。びっくりすると言うより焦りました。なんかインチキしたのかたとオロオロしていると、バニーガールのお姉さんがバケツを乗せたワゴンを押しながらニコニコと寄ってきました。その間もコインは止まらず、コインの受け皿からはこぼれだしてきたのです。

 するとコインをバケツに入れてくれて下に落ちているコインも拾ってくれるではありませんか。後で判った事、スロットマシンの中にあるコイン全部が当たりとなる、最大の組合せがでたそうでめったに出ないものが出たのでした。バケツに3杯くらいあり、それをワゴンに載せてくれて「チェンジ カウンター」に連れて行ってくれました。
※スロットマシンで5桁(ドラム)のタイプでどれがどどのような枚数でと色々書かれていましたが、この最大枚数の内容はマシンの最上部にネオンサインで番号が出ていることは解っていたのですが、まさかこの数字がこの台に保存されている枚数だったとは驚きでした。

 日本円で5万円位でした。バニーガールのお姉さんにチップをあげて、日本人のディラーの女性に報告しようと行きましたが帰ってしまったあとでした。3日間いましたが結局この最後のスロットマシンで儲けた分がそのまま戦果となりました。その後、色々な情報交換の中で、ほとんどが負け組で熱くなり最高額「マイナス70万円※クレジットカード」がいました。今思うと、読めない偶然の代物で俗に言う「つき」でした。

 やはり仕事の関係で行ったオーストラリのゴールドコーストのカジノ、ラスベガスほどの規模はないですがホテルの一角がカジノになっています。どちらかと言うとアットホームな雰囲気で本当にゲームとして楽しんでいるような雰囲気のカジノでした。ただ気になったのは、入口付近に綺麗な女性が「立ちん坊※詳細は省きます」をしていることでした。声を掛けるとそのまま同伴してくれ色々世話をしてくれるようです。

 カジノの光景はとにかくオーバーリアクション、全員で楽しんでいるような雰囲気でした。その中かでも特徴的だったゲームが、名前は分かりませんがひな壇上の客席が有、真ん中にサイコロを入れた機会が置いてあり、自動でサイコロ(デジタル表示)が点滅し出た目が掲示板に表示されます。客は席にある機械に3桁の数字と掛け金を入れてその数字の当たり数で配当がもらえる仕組のようなのですが、その「掛け金」は専用コイン1枚で日本円で「50円位」です。

 1ターン(回)10分くらいのサイクルですが、結果が出るたび「どよめき」が響き渡ります。これが繰り返されるですからすごいです。始めはルールが解らず見る側でいたのですが途中から両替して加わりました。掛け金が低額なのもありますが、当たっても配当金は最高でも日本円で1万円位でした。しかし、その楽しみ方は今まで見たこともない光景で本当に皆で楽しんでいる感じが伝わりました。

 ここでの戦果は、マイナス3万円鞍だったかな? ルーレットではなく「大小」の名前の大型のサイコロ2個で日本の「丁半」の様な単純なルールのゲームでしたが、これで負けました。決して熱くならない。取り戻そうともしない。ゲームを楽しむことが優先です。これは決して忘れず、行うことが負けても知れていることに繋がります。

 「カジノ」のお話の最後は、韓国、当時のレートで「100万ウオン」日本円で「20万円超」勝ってきたお話です。ウォーカーヒル、この地区だけ「カジノ」があるのです。パスポートがないと入れません。今はどうなっているかは解りませんが。当時は入場料「500円※日本円」でゲームの「チップ」に転用できます。このチップ1枚を元手にルーレットで最終的には日本円で「20万円超」を交換してお持ち帰りしました。

 ルーレットは「確立」が結構作用します。それと「賭け方」、「数量」の組合せで手持ちの変化する元手がプラスになるような賭け方をすることで、儲ける確立を高めていけると私は考えていました。実際に、実行し勝利できました。私たちのテーブルで12人位が付いていたのですが、勝ったのは私だけでした。それも、入場料の代わりの「1枚のチップ」からです。

 時には「36倍」の数字を数カ所選びチップを置く、それと同時に「赤黒1/2」に大量に置いたりと、色々な組合せの賭け方で、最大時「200万オウン」日本円で「40万円位」まで勝ちました。面白かったのは、私の勝ちが続くと、すぐにディーラーが変わることです。これはカジノの戦略なのかも知れません。素人の目で見て、このディラーは弱いなと感じるときがあります。

 そんな時は、思いっきり「36倍」の目に大きく貼っていきます。不思議な物で得てして勝つのです。映画に出るシーンのように「チップをかき集める」でした。そのうち、すすめでチップのレートチェンジ「金額の大きなチップへ交換」を要求され、必然的にレートは上がります。周りの仲間はほとんど「おけら」状態ですので私だけのテーブルになっていました。

 深夜になり引き上げなければならない時間まで独占で遊べました。帰りがけ、隣のテーブルに人だかりが出来ているので覗いたら、やはり独占で1人の日本人のお客さんがルーレットで遊んでいました。なにげに置いてるチップを見たら、私がレートアップした高いチップを山積みにして賭けているではありませんか。目算でその金額を換算したら1回で「50万円」から「100万円」位で賭けているのです。

 「さっき頑張っていたよね」と声を掛けられたので「すごいですね」と言ったら、所詮「あぶく銭」だよと言って笑っていました。帰るのを忘れて仲間も一緒にしばらく観戦、「僕もこれで引き上げる」からと言って「換金」するのかと思ったら、テープルの上にあったチップ全部を「36倍」の数字に適当に振り分け勝負でした。すぐに目算すると日本円で200万円位はある。

 結構な確率で勝てると思っていたら、何とディーラーは「目外し」して結果は負けとなり手持ち「ゼロ」になっていました。それでも「勝負は時の運、楽しかったから満足できた」と言って笑っていました。いまでもその光景は忘れません。こういう考えが出来る人が実在するのかと・・・、貧乏性の私には考えが及びません。「1匹の子羊」は20万円超の現金を手にし日本へ戻ってきたのでした。

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